クロス製品の多様化

クロスによる戦後初の書籍
 戦後、出版各社が本格的に業務を再開したのは、1949年(昭和24年)ごろからであった。なかでも実力のある老舗の大手出版社が、内容的にも外観的にも〈本らしい本〉の刊行に乗りだすのは、用紙の割り当てが撤廃される1950年(昭和25)からである。岩波書店『科学の事典』、中央公論社『科学文化史年表』、新潮社『日本文学大辞典』などが、次つぎに出版された。企画、編集、造本、いずれも本格的なもので、戦後登場した新興出版社では、とても真似のできない出版物であった。
 日本クロスでは、そうした出版界の動向に呼応して、一般書籍装幀用の製品開発を進めていた。ベースクロスと塗料の研究により新製品を開発、この時代には新しい感覚のブッククロスを相次いで送りだした。アートベラムの新しい製品群もそのひとつであった。アートベラムは漂白しただけの生地に色塗料をコーティングし、糸目を白く浮き上がらせて、平滑に仕上げたクロスである。
 アートベラムが最初に採用されたのは、岩波書店の『科学の事典』だった。業務を再開した岩波書店にとって、最初の本格出版物である同書は、戦後の科学教育の再出発に備えて、基準となる辞典をつくろうという狙いから出発したもので、4年の歳月を費し、百数十人の専門家が参画して完成されている。布クロスを使用した戦後初の書籍でもあった同書には、アートベラムNW42が採用された。アートベラムは近代的なセンスをもつ書籍装幀用クロスとして注目された。『科学の事典』に採用されたのがきっかけとなり、出版各社の大型の新企画に使用されるようになっていった。


全集ブームとアートベラム

 1952〜1953年(昭和27〜28)にかけて、旺盛な消費景気を背景にして、昭和の円本時代を思わせる全集ブームがやってきた。ブームの火付け役は1952年(昭和27)11月に刊行を開始した角川書店の『昭和文学全集』と新潮社の『現代世界文学全集』だった。
 新潮社の『現代世界文学全集』は、1927年(昭和2)の円本『世界文学全集』をベースに、現代文学を含む20世紀世界文学の傑作を収録し(第1期29巻、第2期17巻、全46巻)、戦後初めて新聞に1頁広告を掲載するなど、宣伝方法まで1927年の円本とそっくりだったが、各巻平均8万部という翻訳作品としては破格の売れ行きであった。
 角川書店『昭和文学全集』は、新潮社『現代世界文学全集』の日本版である。第1期25巻で出発したが、最終的には全60巻になった。これも各巻ともに10万部を超えるベストセラーになった。
『現代世界文学全集』『昭和文学全集』に刺激されて、翌年から筑摩書房『現代日本文学全集』をはじめとする文学全集の企画が続々と登場、出版界に〈全集ブーム〉がやってきたのである。
 角川書店の『昭和文学全集』の装幀にも、日本クロスの布クロス製品アートベラムが採用されている。日本クロスにとって戦後初の全集用クロスの受注であった。当時の東京出張所長であった河村泰は、角川書店の社長角川源義から直接呼ばれて相談を受けたという。
 同全集の装幀はグラフィックデザイナーの原弘が担当し、原弘が指定したローズのVCの規格はこのときに生まれたのであった。
 さらに1953年(昭和28)に刊行を開始した筑摩書房『現代日本文学全集』(全97巻)にはアートベラムVC黄色、創元社『少年少女文学全集』(全63巻)にはアートベラムNW356が採用された。このほか平凡社の創立40周年記念企画『世界大百科事典』など一連の新企画にも採用され、出版・印刷関連業界から注目された。全集をはじめとするこの時期の大型出版の装幀用クロスに日本クロスのアートベラムを使用するのがひとつの流れとなっていたのである。


ペーパーバックスと紙クロス

 ペーパーバックスという形態の書籍が登場したのは1954年(昭和29)であった。1954年(昭和29)といえば神武景気の前年だが、改造社と創元社が倒産するなど出版界は全般的に不況であった。〈不況には廉価本〉というセオリーどおりに、このころから紙装の単行本や新書判の書籍が登場してきた。新書シリーズが相次いで出版され、なかでも光文社のカッパブックスは、新書判ブームをリードする斬新な企画であった。1954年(昭和29)、伊藤整『文学入門』、中村武志『小説・サラリーマン目白三平』、井上靖『伊那の白梅』田宮虎彦『千恵子の生き方』の4冊が第1弾として刊行されたが、常にベストセラーの上位を独占、やがて新書判といえば〈カッパブックス〉といわれるようになる。造本形式でも、新書に初めてクロスを使用するなどして注目をあつめた。
 軽装版単行本の刊行と新書ブームの本づくり・装幀を支えたのが、東京工場の紙クロス製品群である。1951年(昭和26)から1955年(昭和30)にかけて、カンバスペーパー、ダイヤボード、シルバーボードなどの装幀用紙クロスを順次に開発した。
 カンバスペーパーは、一口でいえば紙でありながら布のような外観をもつクロスである。「カンバス」は布クロスの仕上法のひとつだが、もともとは帆布を指している。亜麻、綿、レーヨン、ビニロンなど太番手の糸を密に織りあげた厚手の織物のことである。クロス製品のカンバス仕上げというのは、厚織の生地を使用して、バクラムタッチの風合いに仕上げたものである。カンバスペーパーはバクラムとともに大型高級装幀用クロスのひとつになっている。カンバスペーパーは、布地でなく紙ベースでカンバス仕上げの外観を実現したクロスであった。1951年(昭和26)、大和クロス工業(後の東京工場)で上製本用として最初に開発した〈くるみ紙クロス〉であった。学術書、高等学校や大学の教科書、理工図書の表紙として使用されたほか、廉価本ブームがやってくると、文芸書の装幀にも使用された。代表的なものとしては、1957年(昭和32)の画期的なベストセラー、原田康子著『挽歌』(東都書房刊、B6判、本文中質紙、286頁、表紙は紙クロス使用、薄ボール函入れ、定価280円)がある。同書にはカンバスペーパーSN46が使用されている。
 光文社のカッパブックスには東京工場で開発したダイヤボード(裁ち切り厚表紙用の紙クロス)が使用されている。ダイヤボードはシルバーボードとともに、もともとは教科書用に開発した製品だったが、思いがけなくベストセラーの新書シリーズに採用されたのである。カッパブックスの表紙にはカッパのキャラクターがエンボスされている。ところが最初に刊行された4点についてはエンボスがない。時間的な制約があって発刊に間に合わなかったのである。


新時代の教科書用クロス

 東京工場の紙クロスが飛躍的に伸びるきっかけになったのはカンバスペーパーの開発だったが、1953年(昭和28)から1954年(昭和29)にかけて、シルバーボードとダイヤボードという2タイプの紙クロスを開発し、紙クロスの新しいタイプとして注目された。
 ダイヤボードもシルバーボードも教科書用に開発した裁ち切り表紙に使われる厚手の紙クロスである。耐折、耐摩擦、耐引裂き適性、さらには印刷効果にもすぐれるなど、教科書を念頭において、紙タイプでありながらハードな使用環境に対応できるよう設計した紙クロスである。
 検定の時代を迎えた教科書は、本文の紙質、印刷、装本など、造本形式が大幅に変わりつつあった。昭和30年度版から、表紙も従来の背貼り方式から、厚表紙による裁ち切り方式が主流になっていった。
 教科書に裁ち切り厚表紙のスタイルを最初に導入したのは、当時4,000万冊という最大の採択部数を誇っていた学校図書だった。同社は1954年(昭和29)に、アメリカの裁ち切り製本機を導入、教科書の製本に初めて無線綴じの厚表紙方式を採用していた。学校図書の要請をうけて開発した裁ち切り方式の表紙にふさわしいクロスがダイヤボードとシルバーボードであった。学校図書の厚表紙スタイルの教科書は業界でも注目され、順次に他の出版社にも採用されていった。1955年(昭和30)以降のペーパーバックスブームによって、ダイヤボード、シルバーボードの販売高は上昇の一途をたどった。
 東京工場では紙クロスの開発を、この時期に積極的に進めていった。1953年(昭和28)には、医薬函貼用クロスを開発した。同クロス製品は、武田薬品のメタポリン、アリナミンの函貼用からスタートした。平米60グラムぐらいの薄い紙ベースに特殊加工を施したものだったが、変褪色が発生しないこと……というのが武田薬品側の要求品質であった。注射液などの薬品は、函が変褪色すれば商品イメージにかかわる。東京工場では日光堅牢度にすぐれたクロスの加工技術を開発し、製薬メーカー各社から注目された。武田薬品のほか塩野義製薬、第一製薬、日本新薬、吉富製薬、住友化学などにも採用され、昼夜兼行の生産がつづいた。
 1954年(昭和29)に登場したダイヤスカーフは、含浸方式の紙クロスである。紙クロスには、含浸タイプと非含浸タイプとがある。含浸方式は、クロスの強度を高め、さらに風合いをよくするために開発した技術である。コーティングするまえに、原紙に樹脂をしみこませておくと、乾燥後も適度なしなやかさと耐水性が得られ、印刷適性もよくなる。
 ダイヤスカーフは、この方式によるもので、特殊原紙に合成樹脂を含浸させて、表面を皮革のような感じに仕上げた特殊クロスであった。研究はアメリカ製のアドレスブック、ダイアリーなどを参考にして、1951年(昭和26)ごろから始まっている。当初は京都工場で技術研究を進めていたが、京都の設備では限界があり、本格的な取り組みは東京工場で行った。樹脂含浸の技術研究はおよそ2年におよび、1954年(昭和29)に完成した。当初は綿ボロを使用した吸取紙のような原紙を考え、日本特殊製紙に発注した原紙に含浸するという方法をとった。ダイヤスカーフは、ダイアリー、アルバム、ファイル、バインダーなどの表紙として使用され、文具紙工品の新しい素材となった。

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