激変時代への対応

足腰構造の強化をめざす
 1991年(平成3)5月17日の総決起大会の社長メッセージで、中期計画のおおまかな内容を明らかにした。創立75周年にあたる第132期(1994年4月〜95年3月)に〈1,000億円企業〉を実現するというのが中期計画の骨子だが、メッセージでは各期の目標、到達レベルを示した。第129期(1991年4月〜92年3月)は、体質改善をなしとげ、将来の柱となる開発テーマを選定する。いわゆる準備期である。第130期(1992年4月〜93年3月)は、開発テーマを具現化して新ビジネスとして確立する、展開期として位置づけた。第131期(1993年4月〜94年3月)は、売上・利益の飛躍的な向上に結びつけるという意味で飛躍期。そして第132期(1994年4月〜95年3月)は、蓄えたすべてのパワーを全開して最終目標をクリアする、達成期という位置づけであった。
 1,000億円のベースになる開発テーマの決定、さらには体質改善を狙いにして、「棚卸資産の減少」「人件費率の適正化」を、第129期の重点テーマに取りあげた。だが、1,000億円企業のシナリオそのものが、バブル景気が弾ける以前に策定されたもので、第130期になると、早くも再検討を迫まられることになる。
 1989年(平成元)から1994年(平成6)にかけてのダイニックの業績を見ると、第127期(1989年4月〜90年3月)をピークにして、後の4年間は欠損を出してはいないものの、長期におよぶ低迷がつづいている。
 第127期は売上高371億円、経常利益11億200万円、ところが第128期になると売上高こそ397億円と前期を上回るのだが、経常利益は4億4,200万円と、大幅に落ち込んだのである。湾岸危機による原材料の高騰、設備投資や海外投資による償却費、金利負担、物流費の上昇が主な原因であった。
 第129期は売上高430億円をめざしたが、結果的には横ばいの398億円、利益面では大幅に落ち込んだ。バブル崩壊の影響が業績のうえに現れてくるのは、このころからである。第130期以降は売上高340〜360億円レベルで行き来して、創立75周年を迎えることになった。
 減速経済に対応する足腰構造の強化が急務となり、第130期の初めに10項目の改善策を明示した。物流費用の低減、棚卸資産の圧縮、不採算商品対策、スモールガバメントの推進、不採算関連会社対策などに象徴されるように、バブル期に形成された贅肉も露呈、全社的な体質改善が緊急テーマになってゆくのである。


簡素化と市場指向

 1991年(平成3)2月16日付で実施した新組織は、いわゆる横一線の簡素なかたちをとっていた。
 本部制を廃止したため、組織階層というものがなくなった。スリム化と管理範囲の拡大に狙いがあった。スタッフ部門は経営企画、文化事業、人事、関連事業、財務、国際事業の7部門。生産部門は滋賀工場、東京工場、深谷工場の3工場。開発部門としてはソフト化開発部門と技術管理部門を設けた。市場指向の活動強化のために事業部は市場別に編成した。再編成した事業部は次のとおりである。出版・文具・紙製品、OA、印刷関連、衣料関連、ラベル関連、産業用途、不織布、インテリア、商品、DHCの10事業部。いずれも営業・製造・技術の3機能をもつ市場別事業部というかたちをとっていた。
 1992年(平成4)3月1日実施の新組織は、業務推進機能の強化が目的であった。本社企画開発機能、本社ライン支援機能、ライン機能を3本柱として、それぞれに部門統括責任者をおいた。さらにライン部門を2つに分けて、「営業・事業担当」常務、「生産担当」常務を設けた。
 経営企画統括の下には経営企画部門と開発部門を配した。スタッフ部門統括の下にはライン部門の支援にあたる財務、総務、人事、関連事業、京都本社事務所を配し、これら本社部門はスモール・ガバメントの構成となった。
 ライン統括のもとには、営業・製造・技術の機能をもつ市場別事業部を位置づけた。10の事業部の内容については前回と変わりがなく、そっくりそのまま横すべりしたかたちになっている。つまり、このときの組織改編は事業部のサポート体制の充実化を狙いとしていた。
 目新しいところではダイニック技術大学校の設置がある。技術大学校は将来にわたって技術者育成と基礎技術の向上を図るのを目的にして設置した教育機関で、滋賀工場内で開校した。


組織のスリム化

 1993年(平成5)3月15日付の組織改編はかなり大幅なものとなった。最も大きな変化は部課制を廃止して、「グループ・チーム制」を導入したところにある。その狙いは「組織のスリム化」であった。新組織の実施によって11事業部、57部、114課の組織を、31グループ、7一チームに集約し、ほぼ半減した。従来の「部」はグループ、「課」はチームとして再編成し、管理職の名称を「部・課長」ではなく、グループマネージャ、チームマネージャとした。
 生産・販売・開発部門をあわせもっていた事業部も廃止し、開発、企画、営業、生産、財務、管理の機能別の5本部制をとることになった。その背景について社長の坂部三司はグループ報「おれんじ」165で、次のように述べている。

 事業部制というのは市場が拡大しているときにメリットがあるんですね。だから、これまではよかった。しかし、ご存じのとおり、今は大不況の最中、市場は拡大するどころか深刻な落ち込みに苦しんでいる。そんな中で、当社は売上げ規模からみて組織だけが肥大化してしまった。さらに各事業間のヨコの連携がうまくゆかず、それによる機会損失も見過ごせない状態になってきた。こういうときは組織をスリム化し、一点集中で危機を突破するしか道がない。そこで思いきって事業部制をやめ、機能別組織にしたわけです。

 最も大きく改編したのは営業(営業本部)である。東日本、西日本の両ブロックに分け、地域プロット意識の向上を図った。さらに地域強化の一環として、名古屋営業所を名古屋支社に昇格させ、京都本社事務所は営業機能をもつ体制にして、京都本社営業所と改編した。
 開発・企画本部も大きく変わった。それまで技術部門は各事業部に所属していたために、3工場の技術が分散していた。また事業部が多く、工場間の連携も十分でなかった。そこで技術、開発部門はすべて、「開発・企画本部」に集中することにした。

 新しい組織がスタートしてまもなくの5月6日、東京本社は池袋のサンシャインビルから神田・神保町の岩波書店一ツ橋ビル(東京都千代田区一ツ橋2丁目5番5号)に移転した。池袋と水道橋に分れていた営業部門も合体、営業活動の効率化を図ることになった。なお資金、秘書をのぞく本社機能は東京本社狭山分室に移転した。


営業部門の強化

 社長の坂部三司は〈組織〉のありかたについて、「組織は進化すべきものです。組織は時々の状況、時代の変化に合わせて変えてゆくべきものと思っています。今回、組織を大改革しましたが、決してこれで完璧なものとは思っていません」と述べている。
 1994年(平成6年)6月15日付の組織改編の要点は、本部制の廃止と営業の一本化である。
 5本部を廃止し、常務以上は機能別担当として長期的な視野から戦略や体質改善に専念できるようにラインからはなれることになった。
 営業部門は東西のブロック制を廃止し、営業事業部制を採用した。3つの営業事業部と構成グループは次のとおりである。

 第1営業事業部(出版文具関連、情報関連、システム販売準備グループ)
 第2営業事業部(不織布、車輛、ファンシー、建装、インテリアグループ)
 第3営業事業部(産業用途、衣料用途グループ)
 営業企画担当(企画・管理、東京、大阪グループ)

 従来の企画・開発本部も本部制の廃止とともに、経営戦略グループと開発部門の2つに分かれた。開発部門はよりシンプルなかたちとなり、技術開発担当の下に研究開発グループ、滋賀技術グループ、狭山技術グループ、深谷技術グループを配置した。
 営業部門を中心としたこのときの改編の背景について、社長の坂部三司は次のように述べている。

 昨年の組織改正で営業部門は東西両ブロック制を採り入れました。ところが1年半経ったいま状況を分析してみると、ブロック制のメリットはあるものの、現状をみると、統一した商品戦略、在庫計画をもってのぞんだほうがいい商品が多いことがわかってきた。また、これはじつに残念なことですが、東西ブロックで競り合うべきところ、お互いにキズをなめ合うケースも散見される。これではいけない。そこで、私は思いきってブロック制を止め、営業を一本に統一しました。朝令暮改と言われそうだが、そうではない。悪かったら直ぐに変える。組織とはそういうものだと私は考えています。(「おれんじ」170)

 組織改編後の、6月29日に役員の改選も行った。新役員人事では代表取締役会長だった坂部三次郎が、取締役会長となった。代表取締役は一人であるべき……というのが坂部三次郎の持論だが、自ら「おれんじ」170のメッセージで次のように書いている。

 ダイニックは、6月の株主総会で役員改選をおこなった。まさに21世紀をみすえた意識改革、さらに若返りがねらいである。会長、社長をのぞく取締役は、すべて昇任・新任である。社外から上木取締役を迎えたほかは、全員が社員からの登用となった。代表取締役を一人にしたのは、かねてからの持論によるものである。監査役陣も新しい組織論にそくして強化を図った。
 新役員の構成は次のとおりである。

取 締 役  会 長   坂部三次郎
代表取締役社長   坂部 三司
専 務 取 締 役 細田 敏夫
常 務 取 締 役 倉元 俊一
甚野  捷
馬場 常夫
南川 義治
中田 圭二
取   締   役 土井 保史
石田 捨雄
北川 文康
藤野市郎次
安部  繁>
小川富士夫
上木 邦夫
野沢 次郎
監査役 (常勤) 有川 嘉邦
高松 省吾
    (非常勤) 三田 康久
石角 完爾

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