ビニール分野へ進出

時代の新素材で新市場へ
 戦後まもなくアメリカ文化の象徴として登場した「ナイロン・バッグ」を日本人は羨望の眼で迎えたが、「ナイロン」と呼ばれた一連の素材は塩化ビニール製品であった。
 日本クロスでは、すでに1947年(昭和22)ごろから塩化ビニールの生産研究を始め、1949年(昭和24)から本格生産を開始、自動車用レザー、プール内貼り、家具用レザー、雨衣用などのビニールクロス製品を開発している。
 1951年(昭和26)には量産システムが完成、日本クロスのビニールクロスは〈ダイヤビニール〉の商標で本格的に市場に参入した。主な用途は農・漁業用雨衣、車輛シート、ビニールペーパー、教科書用ビニール、ケミカルシューズ用レザー、国鉄の車輛カーテンなどであった。
 塩ビ製品の開発は、1955年(昭和30)までにほぼ終わっていたが、収益面から商品分野を絞りこみ、ナイロン、ビニロンを主体にした雨衣、防水カバー、テント、養生幕などに重点をおくようになった。
 塩ビ製品は、日本クロスに新しい塗布技術をもたらした。創業以来の塗布技術の歩みをみると、最初は水性塗料のみであった。水性塗料の塗布技術によってブッククロス、ブラインドクロス、トレーシングクロスなどを生産してきた。次いで1937年(昭和12)に油性塗料、硝化綿塗料を導入し、オイルクロス、オイルシルクなどの製造が可能になった。そして戦後になってPVC塗料が登場したのである。
 PVC加工はクロスの分野にも装幀用のビニールクロスなどの新製品をもたらしたが、産業資材や住宅市場など、それまでの日本クロスにとって無縁だった新しいマーケットへの参入を促した。
 たとえば衣料分野への製品展開もビニール製品から始まっている。「ダイヤビニール」という商標で発売した塩化ビニール製品は、官庁や一般企業の雨衣や学童用合羽などに使用されていたが、その実績をもとにして、ファッション素材としての新しいビニールレザーの開発に向かった。
 衣料素材として最初に登場したビニールレザーは、1956年(昭和31)に開発された「エレガント」であった。〈革よりもやわらかく、ウールよりも暖かい〉というキャッチフレーズで発売された。伸縮性のあるビニールレザー、エレガントはファッションの新素材としてデザイナーや衣料業界から注目され、当時流行のカーコートやジャンパーに使用され、ビニールレザーブームの主役となった。
 1959年(昭和34)に開発したニットベースのビニールレザー(商標「ミューロンエレガント」)は、エレガントをさらに発展させた本格的な衣料用ビニールレザーであった。カーコートや子供用スーツ、ジャンパー、レインコートなどに使用され、ビニールレザーブームの底辺をさらにひろげた。
 当時のビニールレザーは一時の流行商品にすぎなかったが、日本クロスが初めて生産・販売したファッション素材群であった。


PVCコーティングの導入

 PVC加工に乗りだしたのは京都西工場油布部であった。PVCコーティングに着手したのは1947年(昭和22)であるが、当時はまだ国産のPVC樹脂がなかった。やむなくアメリカ製袋物のPVCフィルムの裁ちくずを溶解して、コーティング研究を試みなければならなかった。トレーシングクロスの塗装機、ドクターヘッド単式乾燥機を使用、溶液コーティング(溶剤はクロルベンゾール)により、ビニールレザーの試作に着手したのである。しかし溶液濃度が低く、加温中でないと溶剤が凝固してしまう。さらに1回の付着量が少なくて厚みがでない。300回コーティングしても生地目がかくれない、というように技術上の問題を解決できず結局、試作段階の域を脱することができなかった。
 国産のPVC樹脂(鉄興社 カレンダー用)が開発されたのは、1948年(昭和23)である。油布部ではこれをペーストにしてコーティング加工に用いた。自動車内装用レザーを製品化して、テスト販売したが品質が安定せず、量産にはいたらなかった。ペーストでないものを無理にペーストにしたため加熱しても溶融せず、製品の表面に亀裂や変色が生じてしまったのである。


独自の技術開発

 国産のPVC樹脂が開発されると、ゴム製品メーカーが既存設備(カレンダー)を使用して塩化ビニール製品の生産に乗りだした。日本クロスもペースト用樹脂がないかぎりカレンダー法によるほかないと判断、ただちに設備導入を図った。1949年(昭和24)、北陸のゴムメーカーから中古のカレンダー(14インチ×42インチ 3本カレンダー)とミキシングロールを購入、京都西工場油布工場に設置した。
 最初に製品化したのは、自動車用レザー、プール内貼り、家具用レザー、両面加工合羽など、いずれもビニロン基布にPVC樹脂を塗布したものであった。
 1951年(昭和26)になると、ビニール専用カレンダーが登場してくる。日本ロール、大谷重工などがビニール・カレンダーの製作を始め、急速に業界にひろがっていった。日本クロスも、この年にカレンダー(22インチ×66インチ 逆L型)とミキシングロール2台を導入し、導入した新設設備と既存設備で、1955年(昭和30)までに主な塩化ビニール製品を開発し、量産・量販の体制をつくりあげたのである。

 ダイニックのPVC加工を技術的な面から見ると、一般的な加工法であったトッピングだけでなく、ブリッジ加工という独自の技術を開発している。トッピング法とは、かんたんにいえば綿の生地と被膜の貼り合わせであった。当時の靴用、椅子貼り用、壁紙などの塩ビ製品は、このシステムで生産された。
 日本クロスの塩化ビニール製品開発の狙いは、合繊ベースのビニールレザーであった。将来性のある合繊素材ポリエステル、ナイロン、ビニロンにPVC樹脂加工ができないだろうか……というのが開発の中心テーマだった。ところが合繊には接着性がないため、従来の方式ではほとんど不可能であった。そこで独自の新しい加工技術としてブリッジ加工が登場してくるのである。
 ブリッジ加工というのは、合繊のベースと塩化ビニールの結合を求めない、それまでの塗装布の常識を超えた新しいシステムであった。この方法によるとベースとなる織物は単に補強材となる。つまり織物の表と裏から熱可塑性の樹脂を付加して加熱、両側から布目を通して融着させるという方式である。織物と樹脂の接着は不要になるから、下貼り加工も要らなくなる。織物の風合いを硬化させず、工程も短縮することができる。ソフトな風合いとコストダウンを同時に実現したのである。最初に製品化されたのはクラレのビニロン合羽であった。


多様な製品展開

 塩化ビニール製品の生産技術は、1949年(昭和24)から1955年(昭和30)にかけてほぼ完成している。製品群には「ダイヤビニール」という商標を付した。主な用途は雨衣、ビニールペーパー、教科書用ビニール(実教出版)、ミラクルペーパー、ケミカルシューズ用ビニールレザー、国鉄の車輛用カーテンなどであった。いずれも、ビニロン、ナイロン、ポリエステルの基布に片面あるいは両面に化学薬品や油に耐えるビニール系特殊塗料をカレンダー加工したものであった。
 雨衣用ビニール(ターポリン)は、1951年(昭和26)にブリッジ法によって開発した。布目の粗いビニロン基布に塩ビを両面からブリッジしたものである。クラレのビニロンを使用し、ゴム製品に代わる合羽の新素材として発売した。ゴムは漁油にとけるという欠点があったが、塩ビを使用することにより問題を解決した。まず漁業用合羽に使用され、やがて農業用合羽にも採用されるようになった。さらに塩ビの耐寒性、完全防水という特性、高周波ミシンで縫製できるという加工性が評価され、ゴム合羽を使用していた官庁(法務省、警察庁)や国鉄も順次に日本クロスの雨衣用ビニールを採用するようになった。塩ビはゴムにくらべてカラーが限定されることがない。そこでカラー展開によって〈おしゃれ合羽〉戦略も進めた。
 ミラクルペーパーは、PVC塗料を紙ベースに塗着させた製品である。やはり1951年(昭和26)に京都西工場油布部で開発した。同製品は印刷では実現できない鮮やかな色彩と、独特の光沢をもつ素材であった。紙とPVC被膜で構成されているために、耐久性、強度、防水、防湿性にすぐれていた。そういう意味で奇跡の紙といわれ、保存袋、化粧箱、高級紙バッグ、ブックカバー、アルバム、デザインブック、ノートなどの新素材として注目を集めた。
 このほかスクーター用ビニールも一時期を画すヒット商品となった。当時はスクーター全盛時代で、そのシートにビニールレザー製品が使用された。メリヤス基布にPVC加工した伸縮性のあるビニールレザーであった。富士重工のラビット、新三菱重工のシルバーピジョンなどのシートには、すべて日本クロスの製品が使用された。ケミカルシューズも当時の流行商品だったが、油布部で薄手生地ベースにPVCをコーティングしたケミカルレザー用ビニールを開発している。
 ビニール製品は1958年(昭和33)から受注がにわかに増大、既存設備では生産能力が不足するほどになった。そこで設備増強に向かい、カレンダー(18インチ×54インチ 逆L型)とミキシングロール2台を新設した。メリヤス加工技術とローラーコーターによる表面処理技術も開発し、衣料用メリヤスレザー、車輛用内装用レザー、辞典用ビニールを製品化した。

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