「坂部三司の社長就任」 |
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会長・坂部三次郎、社長・坂部三司 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1990年(平成2)6月1日、社長の坂部三次郎は会長に就任、副社長の坂部三司が社長に就任した。ダイニックにとって社長交代は28年ぶりのことであった。 新社長の坂部三司は1950年(昭和25)6月、埼玉県狭山市に生まれた。1974年(昭和49)3月、東京理科大学工学部経営工学科を卒業。同年4月、日本クロス工業に入社すると同時に伊藤忠商事へ出向。1976年(昭和51)5月、出向から復帰して営業部門(クロス販売部)に配属される。1979年(昭和54)、ニックフレートへ出向。1983年(昭和58)、ダイニック営業本部へ復帰(本部長付)。1984年(昭和59)8月には取締役となり、その後1986年(昭和61)7月常務、1987年(昭和62)7月専務を経て1988年(昭和63)7月に副社長。社長就任はそれから2年後であった。 坂部三司の社長就任は前年の1989年(平成元)から始まった世界的な激変と無縁ではなかった。グループを含めてダイニックの経営というものを俯瞰したうえで、新しい経営体制に移行したのである。その背景について会長の坂部三次郎は「おれんじ」153の巻頭メッセージのなかで、次のように述べている。 既知のように六月一日付でダイニック社長職を副社長の坂部三司に譲り、私は取締役会長に就任した。これはダイニックとそのグループのありかたをにらんでの措置である。ダイニックの経営は新社長にゆだね、私はダイニックグループ全体の経営、加えて当分の間は財務、上部人事をみてゆくことになる。 定時株主総会後の取締役会を経ないで、六月一日付で実施したのは異例だと思われるかもしれないが、私には大きな意義がある。二八年前、私も株主総会を経ずして同日に社長になった。当時は労働問題を中心にして非常にきびしい情勢下にあった。二八年間の苦労を忘れまいとして、あえて六月一日を選んだのである。さらに私が社長に就いたのは三九歳になってまもなくであった。新社長はまもなく四〇歳、縁起をかつぐわけではないが、若くして一部上場会社の社長を継承する苦労の重みを、新社長にも味わってもらいたいという思いもある。若くて活力にあふれた新社長のもとで、ダイニックグループの全員が一丸となって、社業の発展のためにがんばってもらいたい。 東西の冷戦構造が終結、世界的な経済の激変時代の到来、さらにはグローバル化が進みつつあるダイニックグループの現状を見すえて、経営強化と若返りを図ったのである。6月28日付の役員異動で誕生した新しい経営陣は次の通りであった。
重点開発で1,000億円企業へ 坂部三司が最初に掲げたのは、「1,000億円構想」を念頭においた「企業変革」であった。たとえば社長就任時のメッセージ(「社長就任にあたって」)のなかに次のような一節がある。 当社の現在を考えるとき、〈ダイニック1,000億円、グループ2,000億円〉構想に向かってスタートしたばかりであります。この目標を達成するには、あらゆるパターンの変革・革新の思想を組み合せて、活路をひらくことこそが重要なポイントになるということを、よく認識いただきたいと思います。 当社は内的にも外的にも、もっと〈自主性〉というものを高めなければならない……というのが私の持論であります。対外的な自主性の育成が先決、さらに社内の組織的にみても〈自主性〉がとぼしいきらいがある。1,000億円企業への発展をめざす現在、運営面で限界に達しつあるのではないか。それゆえマネージメント・クラス以上には、自主性というものの意識を、より強く持っていただきたい。 奇しくも世界的な激変時にトップの座についた坂部三司が、就任いらい現在にいたるまで、一貫して保持しつづけているキイワードは「変革」である。社長に就任した当時、企業変革を念頭においてクローズアップしたのは、組織レベルでは「商品開発のありかた」であり、個人の精神レベルでは「自主性」である。「自主性」というものに着目する背景は、次の一文からうかがい知ることができる。 ダイニックのいいところは労使関係のすばらしいところです。これはまさに社是にある「人の和」であり、このすばらしい財産をこれからも大切にしてゆきたい。問題は〈自主性に〉乏しいこと。これは長年にわたって出版社の企画にそってモノ作りをしておればよかった「クロス商法」のマイナス面が出ているのかもしれない。これからは何よりも自主性がものをいう時代。当社はもっと自主企画力を発揮してゆく必要がある。自主性、企画力こそわが社にとって緊急の課題だと思います。(「何事にも問題意識を」『おれんじ』153) 開発について、坂部三司の脳裏にあるのは、あくまで「商品開発」である。新製品開発について、ダイニックでは伝統的に「キイ・テクノロジー」を重視してきたが、坂部三司は「市場の求める商品を迅速に開発すること」の重要性を一貫して主張している。 当社はこれまでどちらかというと「シーズ型開発」に重点をおいてきました。ニーパンの技術からカーペット市場に、そのカーペット技術から自動車内装材分野に……などなど。それはいいが、これらは出来上がった商品の新分野への応用です。これからはもっと市場に立脚し、市場が求める商品をこちらから積極的に開発してゆく必要がある。いわゆる「トレンド重視型開発」への移行です。何かができてそれを市場にもっていくというのではなくて、市場が必要とするものを作り出してゆこうというわけです。 当社の強みは「複合技術」です。各事業部の商品特性をうまくミックスするだけでまったく新しい商品の開発が可能です。重点開発で、ここぞという事業、新商品、新分野にはヒト、モノ、カネを一点集中することも必要です。(「九〇年代に飛躍するダイニック」『おれんじ』151「何事にも問題意識を」『おれんじ』153) 完成された技術から新商品を開発するのではなく、市場が待望している技術や商品から出発する。後に発足する商品技術研究所の構想は、すでにしてこのときに芽生えていたのである。 当社のあるべき姿 1992年(平成4)8月18日、坂部三司は、「当社のあるべき姿」というタイトルでメッセージを発している。 従業員に向かって発せられた社長方針というべき内容で、「事業領域および企業の性格」「企業風土・人に対する考え方」の2項目で構成されている。前者では「技術力を活かした企画提案力」「1点集中による商品力強化」「グループのネットワーク」の必要性が述べられている。後者では「あるべき企業イメージ」が具体的なかたちで提示されている。 「当社のあるべき姿」は創立74周年記念日に、従来の「創立記念日にあたって」というメッセージに代えて発せられている。あえて創立記念日に発せられたこのメッセージは、就任3年目を迎える坂部三司が最初に文書のかたちで明らかにした「経営理念」というべきであろう。内容的にみても「経営方針」というよりも「経営理念」的な構成になっている。
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