天文公園、アストロパーク天究館」

ファクトリーパークをめざす
 ダイニックとそのグループの企業としてのありかたを考えるとき、単なるモノ造り、単なる利益追求に終始してはならない。利益を確保しつつ、地域の皆さまと融和を図るという姿勢も重要だと考えている。
 そういう意味で、わがアストロパーク天究館は大きな役割を果たしている。天文台のある工場は世界でも類がない。六月には今年もベルリン・フィルの六人のメンバーが来訪、ボランティアで演奏会を開いてくれた。多賀町長をはじめ聴衆からは「まさか多賀でこんなすばらしい演奏を聴けるとは思わなかった」という感嘆の声がもれていた。
 メーカーは優秀な製品を提供することが最も重要だが、地域の一員として住民から受け入れられなければ存在価値がない。(「おれんじ」178)

 アストロパーク・天究館の創設者・坂部三次郎が書いているように、天究館の開設は「環境をまもり、自然や地域住民との調和」を究めてゆこうとする〈ニュー・ファクトリー構想〉にもとづいている。1987年(昭和62)8月に開館して以来、ひろく全国の天文ファンに親しまれてきたが、さらに周辺の広大な敷地を利用して、宇宙や天文学を楽しみながら学習してもらえるよう天文学習公園づくりに着手した。天文台のある第1天究館を中心に、愉しく学べる公園、さらには研修、宿泊施設をもつ第2天究館を含めて、一帯をファクトリーパークにしようというのであった。
 アストロパーク天究館の「天文公園」づくりは、公共性ある事業と認められ、財団法人地域総合整備財団の「ふるさと財団」融資を受けることができた。村山定男氏を中心とする天文公園プロジェクトの協力により具体的に進められ、1990年(平成2)5月に完成した。
「天文公園」は天究館の周辺敷地8.2ヘクタールを活用して、見て、歩いて、楽しめる公園としてできあがった。天究館の周りには約1.5キロの遊歩道を設け、遊歩道に沿って88の星座をめぐってゆくと、世界各国の昼と夜が一目でわかる「昼夜地球儀」や、昼間の金星を見ることができる「ビーナス・ファインダー」「人影日時計」などがあり、遊びながら星の世界を学べることができる。
 同年5月13日に竣工式を行い、地元滋賀県と多賀町の代表、天文関係者、ダイニックの顧客、関係者など列席のもとに記念講演、施設案内、天体観望会などを行った。先に天究館の観測活動で発見した小惑星を「琵琶湖」と命名したが、記念式典ではその命名発表も行われた。
 天文公園と第2天究館の完成によって、アストロパーク天究館は施設として完成をみたのであった。


天文国際大会が開かれる

 天究館は民間の天文研究機関としてユニークな活動をつづけている。開設当初から数多くの小惑星を発見している。1989年(平成元)までの3個の命名権があたえられ、「多賀」「琵琶湖」「京都」と命名、1990年(平成2)に発見して、国際天文学連合により小惑星「第4461号」として登録された小惑星は、東京工場の所在地である狭山市にちなんで「サヤマ」と命名した。
 1990年(平成2)には、「多賀」「琵琶湖」などの命名によって、滋賀県から「ブルーレイク賞」を受けている。滋賀県の文化・観光などを通じて滋賀県のイメージアップに寄与した者に贈られる賞で、8月の「びわこ湖水の祭典」で特別賞として表彰されたのである。
 1991年(平成3)11月1日には、太陽系の微小天体に関する国際会議が天究館で開催された。会議の正式名称は「地球進化と銀河に関連する微小天体の力学の進化」国際会議である。天文学の世界的権威、米・ハーバード大学名誉教授F・ホイップル博士をはじめとして、海外から20名、国内からも20名余りの天文学者が出席、熱心な討論が行われた。会議の後、天究館の観測機器を見学してもらい、夜はレセプションを催した。
 翌日はホイップル博士による記念講演会が行われた。博士は、彗星に関する論文が多く、1849年に発表されたハレー彗星の「よごれた雪だるま説」はとくに有名で、探査衛星「ジオット」のプロジェクトメンバーとしても知られている。当日は、京阪神を中心にアマチュア天文家が多数天究館に詰めかけ、博士の講演に聴き入っていた。

*** もどる *** 次章へ ***


*** 目次へ *** トップぺージへ ***