グループの新しい戦略」

ソフト指向とグローバル化
 1989年(平成元)ごろからのグループ経営の特徴をいえば、国内ではソフト化指向の企業展開であり、海外に目を転じると、コンピュータリボン、接着芯地をターゲットにしたグローバル化である。国内ではステラ・ニック、ダイニック・フラワーアンドグリーン、ニック・ビジネスサプライ、リゲルジャパンを新しく設立、オフィス・メディアがグループに参加している。いずれもダイニック製品をベースにして創造的な事業展開を狙うソフト化指向の企業としてスタートしている。
 海外展開については、コンピュータリボンと接着芯地を中心とする生産拠点づくりがいっそう活発化している。いずれも市場というものを地球規模でながめ、グローバルな市場戦略から出発している。高度情報化社会の進展、あるいはボーダレス時代の到来という背景から、もはや市場というものを〈国内〉〈海外〉という枠組みで考えられなくなった。日本企業の海外進出が活発になり、それにともなって素材供給メーカーであるダイニックも生産拠点を海外に求める必要性が生じてきたのである。
 コンピュータリボンの海外生産拠点づくりについては、1987年(昭和62)9月のダイニック・USA社の設立に始まったが、1990年(平成2年)2月にはダイニック・UK社、4月のパラナ・サプライズ社、さらに、1991年(平成3)4月には中国・大連に大連大尼克辦公設備有限公司を設立した。
 接着芯地ステーフレックスについては、1988年(昭和63)のタイにつづいて、1993年(平成5)5月に中国・昆山に昆山司達福紡織有限公司を設立、6月には上海事務所を開設して、マーケティングと工場建設に着手した。
 国内では、ダイニックグループ企業のなかでは歴史もあり、ユニークな存在であるニック産業が、1994年(平成6)7月に大阪、京都の両証券市場に株式上場を果たし、新しくスタートすることになっ
た。


ニック産業の上場

 ニック産業株式会社はもともと、レジャースポーツのボーリング場経営から出発、その後、ホビーショップに転換を図って成長をとげたダイニックグループの1社である。京都の嵯峨、七条、宇治に店舗をもち、DIY商品を中心に事業拡大を図り、1993年(平成5)9月には深草店をオープン、資本金は5億5,882万円、売上高は約100億円に達していた。同社ではさらに新しい事業展開を図るために、かねてから株式の上場を計画していたが、1994年(平成6)6月3日に大蔵省の内認可がおり、7月5日に大阪第2部と京都の両証券取引所に上場されることになった。株式上場にともない増資を実施し、新しい資本金は14億8,882万円となった。上場企業として新しく出発したニック産業は、京都周辺から近畿エリアをターゲットにして、現在の4店舗から15店舗へ拡大を計画、中期的に売上高250億円をめざしている。
 地域に密着した「一番店」をめざす、ニック産業の顧客対象は家族である。家族そろって楽しめる店というのがコンセプトである。子どもには玩具、ゲーム機、母親には家庭用品、父親には日曜大工用品、釣り具など……と想定して品ぞろえがなされている。品数が豊富で、営業時間も夜九時までと他店にくらべて長い。DIYの専門店としてアドバイザーやスタッフの充実も図っている。日常生活に必要な実用品を低価格で提供すること、つまり「利便性」「専門性」「低価格性」で成長を果たしてきた。
 ニック産業は株式上場をきっかけにして、ホームセンター事業拡大の第2ステップに向かった。


ソフト化指向のニュービジネスへ

 ステラ・ニック株式会社は1989年(平成元)8月、東京都千代田区(神田神保町2-2-34)に設立した。資本金は3,000万円、会長は坂部三次郎、社長は藤井稔である。FFCフィルム「ALINDA」をはじめ各種ブッククロスの販売促進、末端商品の開発などを目的に設立したコピー・デザインサービス会社である。カラーコピー機、カッター、ラミネート機、製本機などの諸設備を設置、同年10月から本格的な営業活動を開始した。対象とする主な顧客層は、デザイナー、広告・デザイン・印刷関係、販売促進者などだが、コピーサービス、製本については個人ユーザーも対象としている。エンドユーザーに密着した事業展開をめざして「ALINDA」の需要喚起、顧客ニーズの収集・調査分析、新事業分野の開発など一連のマーケティング活動に力を注いだ。
 ダイニック・フラワーアンドグリーン株式会社は、花卉・観葉植物の生産、販売、リース、さらには造園企画などを主業務として、1990年(平成2)4月に発足している。資本金は1,000万円、会長は坂部三次郎、代表取締役は植木佳雄、スタート当初の従業員は3人であった。同社はダイニック商品事業部が展開してきた「ST式底面灌水システム」を中心にした花卉、観葉植物の生産・販売業務を発展的に分離独立させたものである。
 商品事業部では「ST式底面灌水システム」をベースにして、DGSプロジェクト(ダイニック・グリーン・サービス・プロジェクト)を発足させ、新しい花卉園芸の事業展開を模索してきた。その結果、生産面よりも企画・販売を中心にした新会社の設立に発展したのである。むしろ企画を中心としたソフト面に重点をおくというのが同社の特徴であった。
 ニック・ビジネスサプライ株式会社(会長坂部三次郎、代表取締役二階堂康弘)は1989年(平成元)12月、東京都千代田区(神田淡路町1一21)に設立した。同社の営業内容はコンピュータ用インクリボンを中心にした各種事務用品、OA用品の販売であった。
 オフィス・メディア株式会社は1990年(平成2)3月、ダイニックグループに参加している。もともとは1968年(昭和43)、バローズ(現・日本ユニシス)のビジネスフォーム事業部として発足している。1986年(昭和61)、バローズから分離してアメリカのニューコート社の日本での子会社「オフィス・メディア」として独立、そして4年後にダイニックグループの1社として再出発することになったのである。新しくスタートしたオフィスメディアの新資本金は1億円、会長は坂部三次郎、社長は奥田英雄、従業員は60人であった。自社企画の各種ビジネスフォーム、帳票類、コンピュータ・サプライ商品、周辺機器、文書セキュリティ用機器、各種用紙などの販売が同社の営業内容となっている。
 ニック・ビジネスサプライもオフィス・メディアも、コンピュータ関連のサプライ商品の販売会社である。両社のグループへの参加によって、ダイニックはインクリボンだけでなく、オフィス向け各種サプライ商品販売のチャンネルをもったのである。
 リゲルジャパンは1990年(平成2)6月に設立された。高級キャディバッグを中心にしてカバン・袋物の製造・販売会社で、本社は池袋のサンシャイン60のダイニック東京本社内におき、工場は埼玉県越谷市に建設することになった。資本金は2,000万円、会長に坂部三次郎、社長に桜井達夫が就任した。1991年(平成3)3月に完成した新工場の敷地面積は300坪、建坪400坪。ゴルフ・キャディバッグ月産3,000本を目標にしてスタートした。


イギリス、中国へ工場進出

 コンピュータ用のインクリボン事業をめぐる海外工場進出の第2ステップは、ヨーロッパであった。EC諸国のなかでもイギリスを選んだのは、日本電気、エプソン、セイコー、シチズン、松下電器、沖電気など日本のプリンタ・メーカーの80パーセントがイギリスに進出しているからだった。新会社設立は1989年(平成元)秋に正式に決定、ヨーロッパ進出第1号のグループ会社として、ダイニック・UK社(DYNIC 〔U.K〕LTD.)が発足した。
 ダイニック・UK社 は、1990年(平成2)2月にウェールズのカーディフに設立、資本金は20万ポンド(円換算約4,500万円)、会長は坂部三次郎、社長は服部直道、当初の従業員は24人であった。
 工場は1990年(平成2)5月9日に完成、インクリボンの組み立てラインを設置して、最新鋭の設備によってアセンブリー生産を開始した。英国でのコンピュータリボンのOEM生産、およびEC12カ国のアフターマーケット開拓を目的にしてロンドン営業所(公文弘所長)を開設した。
 ダイニック・UK社につづいて、アメリカのテキサス州エルパソにパラナ・サプライズ社を設立した。同社はプリンタ・メーカーの純正部品としてのインクリボンではなく、アメリカのアフターマーケット参入のための製造工場である。
 パラナ・サプライズ社(PARANA SAPPLIES CORP.) は、1990年(平成2)4月1日に発足した。資本金は700万ドル、ダイニックとエプソンの共同出資によるジョイントベンチャーである。本社はロサンゼルス、工場をテキサス州エルパソに建設、アメリカ、カナダ、中南米地域を対象にコンピュータリボンの製造・販売をめざしてスタートした。
 エルパソ工場は1990年(平成2)7月12日に完成、工場の延べ床面積は4,230平方メートルリボン塗装機、リボン溶着機、リボンカセット成型機などを導入、カセットなどのプラスチック成型から製品組み立までの一貫生産体制をとっている。リボン製造能力は、年210万個。1992年(平成4)には、年900万個と能力も4.3倍にアップした。当初の目標は年商33億円であった。従業員は75人でスタートしている。
 パラナ・サプライズ社では工場操業開始とともに本社事務所(所長・上田昌弘)を開設、米国・カナダ・南米をテリトリーとする販売強化に乗りだした。ダイニックの技術ノウハウとエプソンの営業ノウハウをドッキングさせて発足する同社は、インクの塗布からカセット装まで一貫生産のシステムでコストダウンを実現、アメリカの巨大なアフターマーケットへの進出をねらってスタートした。
 中国・大連の大連大尼克辦公設備有限公司は1991年(平成3)4月に設立されている。設立資本金は130万USドル.薫事長に坂部三司、副薫長に土肥信夫が就任、アセンブリーラインが完成した同年10月から本格生産を開始した。
 同社の発足によってコンピュータリボンについては、アメリカ2社(オレゴン、テキサス)、イギリス(ウェールズ)、中国(大連)と世界を視野におさめた体制が完成したのであった。
 接着芯地については1988年(昭和63)にタイに進出して、ダイニックは、日本、シンガポール、タイの3カ国に生産・販売基地をもつことになった。順調に業績を伸ばしてきたタイ・ステーフレックス社では、1993年(平成5)2月に新工場を建設、増設した新しいコーティングマシンが稼動している。新工場は延べ面積1万4,000坪、コーティング能力も月産50万ヤードとなった。
 昆山司達福紡績有限公司(KUNSHAN STAFLEX TEXTILE CO., LTD.)は1993年(平成5)5月、資本金400万USドルをもって江蘇省昆山市に設立した。ダイニック(75%)、伊藤忠(20%)、昆山経済技術連合発展公司(5%)の3者によるジョイントベンチャーである。ダイニックにとっては接着芯地「ステーフレックス」の第4番目の生産工場として発足、同年8月には上海事務所を開設、1994年(平成6)3月から上海の西60キロに位置する昆山市で工場建設に着手した。


台湾科楽史、新工場へ

 台湾の銘州興業のグループ参加は、商標布の海外展開強化の一環である。同社はもともとダイニックの商標布ニックセブンのコンペティターであった。台湾を中心にして、アジア地域はもちろんヨーロッパ、南アメリカにも輸出していた。1989年(平成元)10月、ダイニックが資本参加することで銘州興業と合意が成立、グループの1社として新会社を発足させることになった。
 銘州興業股份有限公司(本社 台北県淡水鎮下圭柔山)は、1990年(平成2)2月に発足、資本金7,600万元で新しくスタートした。会長は坂部三次郎、社長は羅華冠、従業員は40人であった。同社はダイニックSC事業部の技術力を導入するなど合弁の効果を活かし、商標布分野の世界市場進出をめざした。銘州興業の海外展開をサポートする目的で香港に設立することになったのが、グリッター・ストロング社(GLITTER STORONG LTD. 金碧威強有限公司)である。同社は銘州興業製品の輸入・販売、さらにはダイニックのグループ企業への投資・出資を目的にして1990年(平成2)春にスタートした。

 ダイニックグループの海外企業でいちばん古い台湾科楽史工業股份有限公司では、1993年(平成5)11月の創立25周年をめざして、おりから新工場の新築、移転がおこなわれている。
 新工場は台北市より車で1時間半、新竹と台中の中間の苗栗市に建設されることになった。苗栗工場の建設は1992年(平成4)夏から始まり、同年9月10日に棟上げ式を行い、翌1993年(平成5)3月中旬から設備の移設を行った。同年6月、新設備のスイッチオンを行い、各種関連設備も順次に完成して本格稼動に入った。
 創立25周年の記念式典は、新工場が順調に立ち上がった1993年(平成5)11月3日、ダイニックの坂部三次郎会長、坂部三司社長、羅再金・台湾クロス総経理、歴代工場長ほか関係者が出席、県知事をはじめ来賓多数の臨席を仰いで盛大に執り行った。

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