国産初の不織布

新素材・不織布
〈織らない織物〉「パネロン」は日本クロスがわが国で初めて国産化に成功した不織布製品に付したキャッチコピーと商標である。
 日本クロスにとって不織布は、〈クロス〉〈染色〉〈ビニール〉に次いで登場した新しい分野であった。生産技術の面から見ると、不織布は先発の3分野とはまったく性質がちがう。創業時からのクロス、染色と、戦後に始まったビニールには共通点がある。いずれも塗料を使用して、基布に〈塗る〉〈染める〉という技術で成り立っていた。ところが不織布は生地ベースそのものである。そういう意味ではまったく新しい技術導入だったのである。
 不織布は第2次大戦後、ヨーロッパとアメリカで誕生した新しい素材であった。大きく分類すれば、紙抄きと同じ製法による湿式不織布と乾式不織布がある。一般的に不織布という場合は、後者の乾式を指す場合が多い。不織布工業会の定義によると、次のようになっている。
「乾式のウェブに機械的、熱的、あるいはそれらの組み合せによる処理により、構成繊維を結合、接着してつくられたもので製織、編織、縮絨などの方法によらないもの」
 乾式不織布には、およそ4つの製法があった。
ク接着式……繊維のランダムウェブを種々の接着剤で結合処理して布状にする方式で、接着法には浸漬法、噴霧法、ロール含浸法、泡末含浸法、プリント法、繊維接着法、粉末接着法があった。
ケニードルパンチ式……ウェブに対して垂直に、とげのある針を上下に移動させて、針の先端およびとげで繊維をひっかけて、ウェブの中に押しこみ、繊維自体をたがいに絡ませて、ウェブの結合を行う。
コスパンボンド式……紡糸口から紡出されるフィラメントを直接布状にする。
サステッチ式……ウェブをミシン縫いに似た方法で一定の間隔で縫いつけてゆく。
 不織布は繊維で構成されながら、織物にはない特徴をもっていたために新素材として注目された。


独自開発にこだわる

 日本クロスが不織布に着目したのは、1954年(昭和29)であった。西ドイツの不織布の先発メーカー、カール・フロイデンベルグ社が、そのころアジア市場への進出を模索していた。ジョイント・ベンチャーの相手として日本クロスにもアプローチがあった。そのときは日本クロスはあくまで独自の事業展開を主張、カール・フロイデンベルグ社はあくまで別会社による展開にこだわった。両社ともにゆずらないまま、交渉は不調に終わった。
 あくまで独自開発にこだわったのは、事業化そのものがブッククロスのベースに不織布を使ってみよう……というところから始まったためであった。それゆえに当初は不織布の製造担当部門も京都西工場製造1課(クロス製造課)に所属していた。
 不織布工場は1956年(昭和31)に京都西工場の第3工場として、第1工場の西側に建設し、米国のカーレーター社から製造設備を導入している。1956年(昭和31)に同社のランド・ウェバーを導入したのが始まりで、これをヘッド部分として生産システムを完成させたのである。1号機による製法のあらましは、クロスウェブによる浸漬法で、接着剤はゴム系の合成樹脂であった。次いで2号機(カーレーター)を導入し、2セットの製造設備をもって不織布部門はスタートしたのである。
 かくして日本クロスは1957年(昭和32)4月、わが国で初めて不織布の工業化に成功、およそ半年のテストマーケティングで製品化への自信を深め、同年の秋から本格的に国内販売を開始した。


織らない織物・パネロン

 わが国最初の不織布には、「パネロン」という商標を付した。パネロンのネーミングは、社内募集によるものだったが、おりからの合繊ブームがその背景にあった。当時、新しく登場した合繊のほとんどが「〇〇ロン」と4文字でネーミングされていた。ナイロンに始まってビニロン、テトロン、カシミロン……などなど。いわば繊維の新素材のシンボルとなっていたのである。「パネロン」はいわば不織布の代名詞となり、不織布による芯地はすべて「パネ芯」と呼ばれた時期もあった。
 不織布は新しい需要と用途開発をともなう製品で、日本クロスの開発製品のなかでも、まったく異質のものであった。発売当初は、ヨーロッパやアメリカ市場と同じように、衣料用芯地として展開を図った。不織布が生まれるまでの芯地は、毛芯、麻芯、綿芯などの織物が中心であった。不織布はこれらにくらべて、軽くて反発弾性があるため、しわにならず、保型性にすぐれていた。方向性がないため、自由にカットすることもできた。芯地としての特性に加えて経済性も評価され、たちまち芯地の新素材として市場に受けいれられていった。
 不織布といえば芯地といわれた時代もあったが、やがてその用途は急速にひろがっていった。1970年代には、プラスチックとならぶ材料革命の主役とまでいわれるようになり、製品開発、用途開発が活発になるにつれて、第3のマテリアルとしてクローズアップされていった。
 芯地から出発した日本クロスの不織布も、技術開発と設備導入を重ねて、各種の産業用資材やインテリア素材、医療用素材、印刷素材などに用途を拡大し、市場をひろげていった。

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