開館10周年を迎える」

名実ともファクトリーパークに
 ダイニック・アストロパーク天究館は1997年(平成9)8月18日、開館10周年を迎えた。国際天文連合の登録番号402番のアストロパーク天究館は、世界で402番目に認定された本格的な民間の天文台である。
 観測施設としては、日本でも有数のドーム付き60センチの反射望遠鏡、固定仕様の望遠鏡11台、移動式8台を設置している。このなかには1934年(昭和9)に日本で最初につくられたは30センチ反射望遠鏡(木辺鏡)のような文化遺産もある。さらに1994年(平成6)には、移動式としては大口径の40センチのドブソニアン反射望遠鏡を導入するなど設備充実を図ってきた。
 天究館は天体観測を中心とする天文台の機能のほかに、天文教室、コンサート、音楽会、講演会、各種展示会など多彩な活動によって、地域の文化振興の舞台として大きな役割を果たしてきた。開館10年を迎え、ファクトリーパークとしてのフレームワークができあがりつつあった。
 開館10周年の記念セレモニーは10月3日、地元関係者や天文関係者など約130人を招待して開催された。当日は名誉館長の坂部三次郎の挨拶、村山定男氏(国立科学博物館名誉館員)の特別講演「火星世界の夢」のあと、音楽会、観望会などが催された。
 この年、京都で開催されたIAU(国際天文学連合)総会に合わせて、天究館でも国際会議が開かれた。8月14日から5日間にわたって、国際天文学連合(IAU)加盟の国内外の天文学者40人が天究館で「彗星と小惑星の力学と地球史における役割」をテーマに議論が展開された。8月23日・24日には第7回日本変更星観測者連盟(VSOLJ)総会の会場となり、アメリカの変光星協会の会長をはじめ国内外40人の観測者が参加した。2日間にわたる総会では10件の講演、研究発表が行われた。


惑星観測報告で世界2位

 アストロパーク天究館は開館以来独自の観測活動をつづけ、数多くの小惑星を発見してきた。発見した小惑星が国際天文学連合で認証されると、発見者に命名権があたえられる。天究館では主としてダイニックに縁のある地名や人名をもって命名したきた。
「多賀」「琵琶湖」「京都」「狭山」「埼玉」「木辺成麿」につづいて、「亀岡」(1995年3月)、「千利休」(1995年9月)、「寺尾」(1995年9月)、「宮沢賢治」「1996年3月)、「シーボルト」(1996年6月)、「埼玉」(1996年8月)、「岩森」(1996年8月)、「洛陽」(1996年8月)、「お茶の水」(1997年2月)、「坂部」(1998年9月)、「国友一貫斎」(1998年12月)などがある。
 宮沢賢治生誕100年にあたる1996年(平成8)の4月に新しく発見した小惑星を「宮沢賢治」と命名し、10月には宮沢賢治生誕百年記念展「百年で星になった賢治さん」を開催した。「宮沢賢治」と命名したのがきっかけとなって、賢治のファンが天究館に集まり、手作りで構成されたユニークな記念展となった。
 小惑星「坂部(Sakabe)」は、「天究館友の会」の会員が命名、名誉館長の坂部三次郎に捧げたものである。
 国際天文学連合のによれば、1997年(平成9)の1年間に寄せられた惑星観測報告は、世界117カ国から合計8,960件、日本はそのうちの4割にあたる3,378件を占め、天究館の報告件数は792件であった。観測施設別でみると、この数値は世界第2位の件数である。工場のなかにある天文台、アストロパーク天究館は、観測活動のうえでも大きな役割を果たしているといえるだろう。
 ダイニック・アストロパーク天究館は、ダイニックの社会貢献事業の一環として出発、開館して13年目になる今日では、「環境との共生」をめざすダイニックのシンボルとして輝きを放っている。(完)


・本文&Webページ作成/福本 武久
・イラスト/松本 強
・イラスト画像処理/松永庄平

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