本章はヨーロッパで第2次世界大戦が始まった1939年(昭和14)秋から、太平洋戦争期を経て、戦後の混乱がつづく1949年(昭和24)まで、激動の10年間の経営を対象にしている。
 戦時統制の強化によって民需産業は崩壊の危機を迎えたが、日本クロスは1941年(昭和16)ごろまでは輸出の拡大で業績を伸ばしている。太平洋戦争が始まると一時は生産活動の継続が危ぶまれたが、風船爆弾の基布づくりなどでひたすら耐えぬいた。
 戦後は一貫して「モノをつくって、日本復興に貢献する……」という経営姿勢を保持しつづけ、ただちに教科書クロスの生産を再開している。社業が次第に活発化するこの時期の終了をもって、日本クロスの戦後復興はほぼ完了したと見ることができる。

雌    伏 (1939〜1949)

 タイトル 掲載内容
▽戦時統制のなかで  第2次世界大戦と経済統制/坂部三次、社長に就任/埼玉、九州に工場進出/染色加工部門を分離/業界のリーダー
▽輸出に活路 創業以来の好業績/大戦勃発で輸出が伸びる/代用資材で生産を継続
▽まるふの生産 「ふ」号作戦/まるふの模範工場/終戦まで生産を継続
▽工業家の姿勢を貫く 戦後の出発/モノづくりで復興に貢献/本業に徹する/生産・販売の自主統制
▽めぐまれた出発 3年連続の増資/東京出張所の開設/教科書用クロスの増産/活発化する輸出
▽苦心のモノづくり 配給資材とクロス/代用新製品・楽器用皮/ノート用背貼りクロス
 

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