社名変更 日本クロスからダイニックへ

新しい企業イメージ
 日本クロスの経営多角化は1970年(昭和45)から本格化し、国内だけでなく海外進出も活発になっていった。海外戦略を含む〈企業の複合化〉を、中・長期の経営方針として掲げたのである。
 積極拡大策の第2ステップともいうべき〈企業の複合化〉路線によって、1974年(昭和49)には、日本クロスの関連会社は16社にのぼっていた。国内は三豊クロス、大和紙工、福岡クロス工業、桂工業、ニック、ハロニック、ニック工業、ニック産業、ニックフレート、ニック環境サービス、ナカヤ、東京アセテートの13社、海外は台湾科楽史工業股份有限公司、NCステーフレックス社(NC STAFLEX CO., PTE., LTD.)、フェルトロック社( FELTLOC INC.)の3社である。
 事業分野も多岐にわたり、日本クロスを中心に関連各社がまるで小惑星のようにとりまき、グループを形成するようになっていた。日本クロスとグループ会社の将来のために、新しいCIシステムを導入して、新しい企業イメージを確立することが急務になってきた。「日本クロス工業」という社名では、もはや事業全体をとらまえることができなくなってきたため、グループ全体を含めた総称を新しく設ける必要性が生じてきたのである。社名変更の検討は1973(昭和48)11月から始められた。


ダイニックの誕生

 社名変更とCIシステムの構築はサンフランシスコのデザイン会社ウォーター・ランドー(WLA)社と提携して進め、およそ6カ月後、新しい社名を「ダイニック」とすることに決定した。
 「ダイニック」という社名とシンボルマークは、WLA社のデザイン・スタッフによってノミネートされた数百のなかから選ばれた。DYNICは、DY=NICと2つに分解して考えることができる。
〈DY〉は日本語の〈大〉であり、英語のDYNAMICを意味する。このダブルイメージをもつ〈DY〉と、日本クロスの略称ともいうべき〈NIC〉を合成したのである。シンボルマークのモチーフは、高く舞いあがる鳥とし、飛翔するイメージにダニックとグループの未来を託したのである。
 新社名とシンボルマークの制定により、日本クロス工業株式会社を「ダイニック株式会社」と改称、関連会社は「ダイニックグループ」の名で呼ぶことにした。新社名への移行は1973年(昭和49)7月1日と決定、6月21日の定時株主総会で、「日本クロス」から「ダイニック」への社名変更が正式に承認された。
 社名変更にともなって、ダイニックの企業理念にふさわしいコーポレーション・ソング「社歌」(作詞・山川啓介、作曲・斉藤泉一)を新しく制定した。
 社名変更と同じ7月1日、久しぶりに増資を実施した。40年不況から苦難の時代がつづき、1964年(昭和39)4月を最後に増資がとだえていが、第110期(1973年11月〜1974年4月)になって、売上高は100億円を突破、経常利益も4億5,000万円に達した。株式配当を2%増やし、12%とした。年間ベースで200億円規模に達する好業績にもとづいて半額増資を決定したのである。増資によって新資本金は16億2,000万円となった。さらに創立55周年の記念配当に代えて無償増資を行い、1975年1月21日付で新資本金は16億4,430万円になった。

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