個性豊かな新製品

新感覚の紙クロス
 1970年(昭和45)から新しい感覚の紙クロスを次つぎに開発した。それは東京工場のグラビア・コーティング技術によるものだった。東京工場では1968年(昭和43)ごろから塗装設備の新設が活発化、設備が本格稼動に入った1970年(昭和45)ごろから付加価値の高い紙クロス製品が、次つぎに誕生してきたのである。
 パステルボードは印刷適性と製本の作業性に特徴をもつ高級紙クロスである。書籍の装幀は、箔押し中心からカラー印刷に向かいつつあった。製本の省力化から表紙も無線綴じになりつつあった。パステルボードはそういう需要の変化に応える新製品として、『会社四季報』(東洋経済新報社刊)などの出版物に使用された。
 リンテックスは、麻織物の感覚をもつ紙クロス、エルクGは皮革のような柔軟性と風合いをもつ紙クロスである。上製本用の装幀のほか、ケース、バインダー、ファイルなど文具紙工品にも使用された。
 1972年(昭和47)からグラビア・コーティング部門の拡充が始まった。同年10月、グラビア・コーティング機L-9号機が完成した。この新鋭機の設置により、印刷物に加えてヘビーコート製品まで生産できる体制が整った。さらにバレープリント(紙クロスのエンボス)機を改造し、プラスターボードのほか、リネンボード、リネンスカーフなどの新製品が誕生している。1974年(昭和49)には、特殊含浸紙をベースにした高級装幀用紙クロス・ダイヤレックス、ニューハイスカーフなどを開発した。


磁気通帳用クロスが完成

 京都工場クロス製造部門の最大のテーマは、パスブック製品の開発であった。パスブックは印刷用クロスで、主として預金通帳などの装幀に使用されていた。
 銀行通帳が活版などによって印刷されていた時代には、クロスも出版用の製品(たとえばSPBなど)が使用されていたが、1973年(昭和48)ごろになると、銀行通帳も次第にカラフルになり、多色刷りが重要な要求品質となった。同時に出版分野でも印刷用クロスの要望が高まったため、印刷用クロスのプロジェクトを発足させた。
 1974年(昭和49)、郵政省は第2次オンライン化(1983年を目標)を発表、都市銀行も追従する構えを見せた。オンライン化が実施されると、それまでの印刷用クロスでは対応できなくなるため、磁気通帳用クロスの開発が新しいテーマとして急浮上してきた。
 磁気通帳には、印刷適性に加えて、磁気性(可読性)、スタンプ適性などの、新しい機能が必要であった。1976年(昭和51)、パスブック・プロジェクトが発足、磁気通帳用クロスの開発に向かった。同用途の新製品として、スペシャルプレンP、アートベラムVC-PM、ニューカスタムN、カルネットなどを開発したが、品質の安定という点では十分ではなかった。
 1978年(昭和53)、新パスブック・プロジェクトが発足、京都工場を滋賀工場に移転させる前に成果を上げようと、品質の早期安定化、コストダウンを図り、新製品の開発に精力的に取り組んだ。滋賀工場移転後、品質の改善・安定化に成功、マグナプレン、マグナクリーン、ニューカスタムNS、マグナスカーフDなど、磁気通帳用クロスの新製品を開発した。


多様化するターポリン

 ターポリンは1969・70年(昭和44・45)には月産8,500袋(8万5,000メートル)となり、フレコン用塩ビターポリンの約65%を占めるまでになっていた。
 耐寒加工(寒冷地用)、無毒無臭加工(食品用)、防鼠加工(飼料用)のほか、防黴加工、耐油加工などの生産技術を次つぎに完成させ、用途もコンテナーだけでなく、多彩にひろがりつつあった。
 1969年(昭和44)、深谷工場で開発した「ユニターポ」は、木材燻蒸用シートとして開発されたナイロンターポリンである。塩ビフィルムに強力なナイロン糸を織りこみ、従来の塩ビシートの5倍の強度をもつなど耐久性にすぐれていた。半透明タイプであるため、足場の安全性を確保できるなどの特性も備えていた。
 プール素材としてナイロンターポリンが初めて使用されたのは、1968年(昭和43)旭化成から発売された組立式グランドプールだった。これを手始めに、ダイニックのナイロンターポリンが使用されるようになった。特殊加工技術による変性ポリエチ・ターポリンは寒暖の差にも変質することなく、軽量で腐食しないという特性をもっていた。1975年(昭和50)には、厚生省告示第178号をクリアしたタイプを深谷工場で開発、学校など各種施設の組立式簡易プールに使用された。これをきっかけにEVAターポリンのもつ無毒性、すぐれた耐薬品性が、養漁タンク、養殖池などの素材として評価され、水産マーケット、公害防止関連マーケットなどへの進出が始まったのであった。
 ターポリンは、あらゆる分野で形を変えて多目的に使用される膜構造素材だが、単に素材面だけからアプローチするだけでなく、ひろくシステムを見つめた素材開発もこの期から始まっている。
 たとえば土木用シートは、工法に着眼して製品化した。1975年(昭和50)に開発した土木用NCジッパーシートは、ターポリンとジッパーを組み合わせたものである。河川、道路、トンネルなどの工事や産業廃棄物処理場の工事では、防水、止水、透水など、目的によってさまざまな資材と工法が要求されるが、NCジッパーシートは、土壌の決壊を防止する止水材として開発されたのである。このほか、防水材のSDSシート、透水材のNCリード(不織布)などがある。いずれも工法にもとづいて研究開発したもので、施工を省力化する素材として用いられている。


壁紙の新しい展開

 ビニール壁装材は、1969年(昭和44)に生産・販売を開始している。ウォライトとタペタンVが最初に開発した壁装材であった。ウォライトは綿の寒冷紗にPVC加工した壁材で、軽量素材であるという点で従来のビニール壁材にはない特徴をもっていた。
 タペタンVは京都工場で開発し、京都・深谷の両工場で製造したが、壁紙原紙にPVC加工した表面にプリントエンボスした壁紙である。グラビア印刷とスクリーン印刷の2タイプがあった。
 当初の壁紙製品はエンボスタイプかプリント一色の非防燃品が主流だったが、1972年(昭和47)ごろからの住宅ブームによって飛躍的に伸び、製品も防燃加工したタイプが主流になった。さらに多色化、高発泡化も進んで多品種の時代になってゆく。
 滋賀工場を新設した1978年(昭和53)、京都工場のビニール製造課も全面移転したが、それにともない全社的な見地からビニール製造部門のありかたを再検討した結果、滋賀工場を壁紙の量産工場と位置づけ、カレンダーによるビニール製品は、すべて深谷工場に集約することにした。
 滋賀の新工場には、国産ロールドクター(乾燥炉、エンボスプリント装置付き)を新設、PVCペースト加工によるビニール壁紙(発泡、非発泡品)の本格生産をめざした。


ニードルパンチカーペットのトップメーカー

 ニードルパンチカーペットへの進出にともなって、インテリア事業という新しい部門を設けた。1969年(昭和44)11月、産業資材販売部に住宅資材課を設け、1972年(昭和47)には住宅資材販売部に昇格させた。
 インテリア業界への本格参入を背景に、1969年(昭和44)後半から製造設備の強化が活発になってゆく。深谷工場にカーペット工場を新設することを決定した。同年秋に着工、翌1970年(昭和45)2月、800平方メートルの深谷第3工場が完成した。4メートル幅のパンチマシンを新しく導入し、広幅カーペットの生産体制ができあがったのである。
 増産体制の確立をまって、住宅資材販売課は自社チョップのカーペット製品の販売を開始し、同年9月発表の「NCカーペット」シリーズによって、本格的にニードルパンチカーペット市場に参入したのである。
 NCカーペットの使用繊維はポリプロピレン100%、規格は91.182センチ×20メートル乱であった。ポリプロピレンを使用したのは、寸法の安定性にすぐれ、少量でボリューム感が出せるという繊維自体の特性に起因していた。
 1972年(昭和47)には自動混綿機を導入するなど、生産合理化も積極的に進められ、カーペットの生産量は急速に増大した。1973年(昭和48)になると住宅産業の急成長によって、既存の設備では需要に対応できなくなった。ただちに生産設備の拡充を決定、1974年(昭和49)から増設工事に着手した。同年6月には4メートル幅のニードルパンチ新鋭機が加わり、量産体制が整った。この一連の設備強化によって、ニードルパンチカーペットに関して業界一の体制を築くことができたのである。


新しいタイプの合成皮革

 合成皮革、人工皮革の大半は京都工場製造2課のホフマン機で生産し、深谷工場では一部を生産するだけだったが、1970年(昭和45)以降、深谷の合皮製造設備を拡充していった。1971年(昭和46)には、深谷工場設立当時に設置し、主にテキソンの塗装機として使用してきた国産塗布乾燥機(レバースコーターN―3号機)を新設と同じレベルにまで大改造し、合成皮革の製造機とすることになった。
 新しく生まれ変わったN-3号機は、全長60メートル、2台の機械を組み合わせ、連結機とした。前機は塗布・発泡・加熱乾燥工程を受けもち、後機は前機で仕上げられたベースに基布を貼り合わせ、加熱・乾燥する工程、キャリアペーパからはがす工程を受けもった。機械幅は1,650ミリとなり、輸出用合成皮革の規格である54インチ幅の製品も製造できるようになった。
 一連の設備強化によって、1975年(昭和50)ごろから深谷工場製の合成皮革の新製品が相次いで誕生している。
 ナチュールは、織物・不織布ベースに特殊樹脂をコーティングした合成皮革であった。高級ソフト合成皮革シリーズとして1975年(昭和50)に開発したもので、用途は靴、鞄、衣料、雑貨、ノベルティなどだった。ラスコスはヌバック調の合成皮革で、やはり1975年(昭和50)に新製品として登場している。婦人コートやジャケットなど衣料ファッション素材として展開された。シャークスエードはゴルフ手袋用素材として開発した合成皮革であった。摩耗に強いのが最大の特徴で、これに防水加工したものはシャークスキーと呼ばれた。ローランドは1976年(昭和51)に鞄・袋物用の新素材として登場している。ナイロンのトリコットベースにウレタンをボンディングした合成皮革である。鞄・ケース素材として用途展開を図った。
 人工皮革、合成皮革とも、時代のファッション傾向ときわめて密接にリンクしている。このころに開発したファッション素材の合成皮革には、ディディ、マジョリカ、ハーモニー、クインセラーなどがある。
 ディディの最初の製品は、1975年(昭和50)に開発した。ポリエステルの基本布にポリウレタンをコーティングしたソフトな風合いの合成皮革である。シースルーのカジュアルファッション素材として、コート、ブルゾン、パンツ、スカートなどが主な用途であった。
 マジョリカは、ナイロン・ベンベルグの基布にポリウレタンをコーティングした合成皮革で、プリーツ加工した外観に特徴があった。やはりファッション表素材で、コート、ブルゾン、スーツ、バンツ、スカートなどを主な用途とした。
 ハーモニーはナイロンの基布にウレタン加工した合成皮革である。ソフトな風合いと豊富なカラー展開が特徴で、袋物や雑貨の中心素材となった。
 クインセラーは不織布を基布にして、発泡ウレタン加工した合成皮革である。ボリューム感がありながら、軽くてソフトな風合いをもっているのが特徴である。靴・鞄袋物・ソフトケースなどが主な用途であった。


衣服の生産システムを変えたステーフレックス

 1966年(昭和41)、国産初の織物接着芯地を発売したダイニックは、2年後の1968年(昭和43)から、ドットタイプの生産・販売を開始した。ドットタイプの接着芯地「ソリドット」シリーズは、ステーフレックス社が1964年(昭和39)に完成した全面接着用の芯地であった。接着樹脂を点(ドット)状に規則的に配列しているのが特徴で、表生地と芯地の接着面積がせまいため、ソフトな風合いと安定した接着性を実現したのである。ソリドットによる全面接着縫製という新しい衣服生産のシステムは、ミシン開発以来の革命であるとまでいわれた。
 ドットタイプの製造設備(S-2号機)を1968年(昭和43)9月に深谷工場に導入し、月産50万メートルの生産能力をもって「ソリドット」の本格生産を始めた。S-2号機の導入と同時に、京都工場に設置していたS-1号機を深谷工場に移設し、月産90万メートルの生産体制を確立したのである(両設備とも1972年〔昭和47〕、京都工場を無公害工場とすることになって再び京都製造3課に移設することになる)。
 ドットタイプの新しい生産技術・設備によって最初に生産したのは「ソリドット」Sタイプであった。つづいてXタイプを生産し、両製品シリーズをもって、ステーフレックスの紳士服市場へ本格的に参入した。
 当時の紳士服業界は、工業化へ向かういわば過渡期にあった。ようやく既製服の需要も伸び始めていたが、労働力の不足が慢性化し、生産コストのアップに悩んでいた。労働生産性もきわめて低い状況だった。こうした状況を背景に、省力化にすぐれた接着芯地ステーフレックスが浸透していったのである。
 アパレル産業が成長期に突入したのは1970年(昭和45)ごろからだった。労働生産性がきわめて低かったこの業界にも、技術革新の時代がやってきたのである。省力化と高付加価値生産を模索し、生産を大型化していった。縫製工場も生産管理意識を高めていった。業界内部の構造変化と既製服化率の向上という消費構造の変化が相乗効果をもたらし、接着芯地のもつ〈縫製の合理化〉システムが注目されるようになった。
 四年におよぶ導入期の販売促進、啓蒙活動が実を結んで、ステーフレックスの販売実績は急激に伸びていった。1972年(昭和47)から1973年(昭和48)にかけての販売数量は、月間100万〜120万メートルに達した。
 衣料の商品そのものの〈価値〉の見直しが始まった。商品の効用や機能だけでなく、ファッション感覚が商品企画のポイントになり、表素材の多様化も始まった。ステーフレックスも新しい〈モノづくり〉を積極的に提案しなければならなくなった。導入技術による〈シンター〉〈ソリドット〉で展開してきた第一ステップは終わり、いよいよ独自技術による製品開発が必要になってきたのである。
 1973年(昭和48)2月、3つのコーティングヘッドと2種の加熱システムによって構成されたS-3号機を新設し、「ソリドットSタイプ」「リアクティブ」「パウダードット」という3タイプの新製品を開発した。
 なかでも〈リアクティブ〉というブランド名で発表した新タイプは、それまでの接着芯地とはまったく異なる新しい樹脂コーティングシステムによるものだった。接着樹脂を熱可塑性から熱反応性に変えたところに、このシステムの特徴があった。温度と圧力によって樹脂そのものの性質を変化させ、異なった成分を生成させるという熱反応性樹脂の特性を接着芯地に付与する方式である。従来のシステムでは、適切な接着強度を得るためには許容温度範囲が限定されていたが、新しいシステムでは、そういう制限からかなり自由になった。一定基準さえクリアしていれば、どのような温度でも十分に接着力が確保でき、安全性にすぐれた接着芯地の生産ができるようになったのである。
 新設機の稼動によって、ステーフレックスはシンター、ソリドットS・X、シャツグレード、リアクティブ、パウダードットと5タイプの製品シリーズがそろい、当時の縫製業界のニーズを満たすに十分なモノづくりが完成した。


染工の技術が生んだニックセブン

 自社製品比率の向上に取り組んだ染工部は、1970年(昭和45)から自社開発製品の製造・販売を積極的に展開した。衣料表素材、袋物素材などが登場するが、いずれも長年にわたって培ってきた染色加工の技術をベースにしたものであった。なかでも1973年(昭和48)に開発したプリントネーム素材ニックセブンは、特殊コーティングの中核商品として成長していった。
 ニックセブンはナイロンタフタに特殊な表面加工したプリントネーム素材である。紙ラベルや従来のプリントネーム素材とちがって、純白の表面にボリューム感のある印刷ができるというのが特徴であった。
「繊維製品に対する取扱表示法」が制定され、プリントネームの洗濯性、2色印刷が義務づけられるようになると、ニックセブンは信頼性の高い素材として注目されるようになった。1980年(昭和55)には単品で売上高1億円(月間)を達成するまでに急成長をとげた。繊維製品の品質表示、取扱表示ラベルはもちろん、ブランドネーム、ポスター、カレンダーなどの印刷素材にも使用され、生産性、付加価値の高い商品のひとつになった。1979年(昭和54)6月には第5回繊維学会技術賞を受賞、すぐれた商品であることが実証された。

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