「マーケット重視の小集団の組織」 |
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営業力の強化 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979年(昭和54)から1983年(昭和58)にかけての組織運営の特色は、マーケティングと企画力を重視するために小集団組織の体制を採ったことである。 1978年(昭和53)ごろから生産・販売の両機能をあわせもつ6事業部で運営してきたが、1980年(昭和55)8月にこれを大幅に改定した。最も大きな改定のポイントは、各事業部の生産・販売の機能を分離させたうえで、事業本部制を採用したことにあった。生産、営業それぞれの責任体制を明確にする目的で、再び生産事業本部、営業事業本部というようにヨコワリに集約したのである。生産事業本部には滋賀、東京、深谷の3工場を集約した。営業事業本部には、担当市場別に編成した9つの事業部と5つの地方営業所を集約した。事業部はマーケティングと販売を担当する部署と位置づけ、新しく3事業部を設置した。各事業部に開発部を設けたのもマーケティング重視の表れであった。新しい組織のアウトラインは次のとおりであった。
このほか常務会直轄の組織としてTQC推進本部、機構上、生産・営業事業本部と同じ序列の関連事業本部があり、また本社スタッフ部門として企画部門、開発部門、財務部門があった。 新組織の特徴は「マトリックス組織」の考え方を導入したことであった。つまり組織全体の活動を、ピラミッド型ではなく、タテワリ、ヨコワリにクロスさせて管理してゆこうというところに狙いがあった。 営業力強化のために東京支社営業所を拡大したのも1980年(昭和55)8月であった。東京事業所では、2本社制を採ってから東京本社と東京営業所は一体化されたものとして存在していた。しかし、オイルショック後の一連の減量策で、本社機能は規模を縮小したうえ、埼玉県狭山市にある東京工場内に移管し、東京の営業部門のみが東京本社営業所として、神田岩本町長谷川第12ビルにオフィスを構えていた。 東京事業所にとって5度目の移転は、1980年(昭和55)3月に決定、8月9日、10日の両日にサンシャイン60(31階北側、300坪)に移転、11日から営業を開始した。 新しい6事業部制 1981年(昭和56)8月の組織改定は、営業部門の再編成がねらいであった。営業事業本部は6事業部に改組するとともに、本社機構のなかにマーケティング部を新設した。 第1事業部 従来の第1事業部(東京クロス販売部 大阪クロス販売部 ビジネス用途販売部 開発部)に特需事業部を編入した。 第2事業部 従来の第2事業部(衣料用途販売部 開発部)に不織布事業部(不織布販売部 開発部)、第6事業部に所属していた生活用品販売部を編入した。 第3事業部 従来どおり(工業用途販売部 車輛用途販売部 開発部) 第4事業部 従来どおり(インテリア販売部 開発部) 第5事業部 従来の第5事業部(東京ステーフレックス販売部 大阪ステーフレックス販売部 開発部)に不織布事業部の芯地部門を編入した。 加工商品事業部 従来の第6事業部の加工商品部が分離独立 従来の国際事業部は、スタッフ的な部署として再編成し、国際部の名称で横断的に各事業部に関与することになった。 小集団で組織を活性化 1982年(昭和57年)8月発足の新組織は、小集団による社内の活性化が最大の目的だった。企画開発本部、管理本部、国際事業本部を新設し、従来のTQC、営業、生産の3本部と合わせて六本部制とした。新しく社長室、未来開発部、技術開発部、技術管理部、営業企画部、生産計画部を新設し、スタッフ部門も強化した。 従来の営業事業本部の事業部は、営業部の名称で3つに集約、各営業部の販売部は東西の地域別に編成した。国際事業本部にステーフレックス営業部を統合した。海外の生産基地を含めて、芯地の事業本部は国際的な戦略展開ができるようにひとつに集約した。加工商品部は生産事業本部の所属となった。外部の生産設備を活用する同部を第四工場と位置づけ、品質保証およびコスト管理の強化を図ったのである。 本社機能集約のため財務部門は京都から東京に移転、京都本社は京都事務所となった。本社機能をすべて集約した東京本社営業所は、東京本社となった。さらに営業部門に神田営業所を新設、本社部門にも狭山分室を設けた。神田出張所は8月23日、千代田区神田小川町3-22の第3大丸ビル内にオープン、第1営業部(ブッククロス販売部門)と国際事業本部のステーフレックス営業部に所属する32人が、サンシャイン・ビルから移転した。 6本部制のアウトラインは、次のとおりである。
この組織は1983年(昭和58)5月に若干の改正が加えられ、営業事業本部、国際事業本部は、それぞれ第1、第2営業事業本部と改称された。 商品別事業部制の導入 1986年(昭和61)8月の組織改定は大規模なものとなった。新組織の狙いは商品別事業部制の導入にあった。商品を軸とする戦略を強化して、経営の機動性を高めるために、営業・生産部門を組織として一本化し、マーケット・インに徹するという意図をこめていた。 新しい組織は、5つの事業本部をもって構成した。スタッフ部門は経営企画部、総務本部、技術開発本部である。ライン部門では商品別事業部制の導入にともない、滋賀、狭山、深谷の3工場をそれぞれ事業本部にした。それぞれの事業本部の下に生産・販売の機能をあわせもつ事業部を設けた。滋賀事業本部には、〈クロス〉〈建装〉〈芯地〉〈ニックセブン〉〈DC〉の5事業部、狭山事業本部には、〈紙クロス〉〈インクリボン〉〈FFC〉の3事業部、深谷事業本部には、〈レザー〉〈不織布〉の2事業部を設けた。事業部には、このほか〈商品〉〈インテリア〉〈国際〉の三事業部があり、合わせて13部で構成した。 各事業部には担当する商品の開発、生産、販売についての責任と権限を委譲することになった。利益責任を負うと同時に、業績配分も織りこんだ成果を味わえるかたちにするというのが新組織の狙いでもあった。 商品別事業部制は、翌1987年(昭和62)8月に若干の修正を加えたが、主な改定のポイントは、インテリア事業とFFC事業の強化、滋賀事業本部での文化事業推進体制の整備などであった。 本社機能の強化 1988年(昭和63)8月発足の新組織は、商品別事業部制の徹底と本社機能の強化が狙いであった。ライン総括本部を新設し、管理体制を一部変更するとともに、国際事業と技術・開発機能を強化する方針が組織面でも明確になった。 ライン総括本部の新設とともに、営業・生産担当常務制を改め、ライン事業部門はライン総括本部長の直轄となった。同本部内にライン管理部を新設、DPSの全社展開、強化と購買業務の革新を図った。システム部も同本部内に移管し、新情報処理システム構築プロジェクトのもとで、全社的にシステム化をめざした。 新規事業、新製品の開発を強化するため、マーケティング部、開発企画部を新設したほか、技術・開発本部の機能強化、拡充を行った。国際化に対応するため、国際事業部を拡大して国際事業本部とした。 総務本部を財務本部に改称、それまで総務本部内にあった財務関係業務を新設の財務本部の所管とし、総務、関連事業の業務は経営企画部に移管した。人事は労務とあわせて人事・労務部として、副社長の直轄とした。 この1988年(昭和63) 8月の組織改定に先だって、7月の役員会で専務の坂部三司が副社長に就任した。坂部三司は専務として滋賀事業本部長、文化事業プロジェクト統括を担当してきたが、新組織ではライン統括本部長を務めることになった。 |