新しい生産・開発システム

DPS活動の導入
 DPS活動の導入は1986年(昭和61)8月からスタートした「商品別事業戦略」と不可分の関係にあった。ダイニックの事業分野は、きわめて広範にわたっていることから、ともすれば散漫になりがちな商品ごとの事業戦略を強化するため、市場別、商品別など各事業部の個別ニーズを基本にして、業務と一体化した活動を優先させるというのが「商品別事業戦略」のあらましであった。その具体的な活動が生産部門と販売部門が一体となった〈DPS活動〉である。
 DPSは正確にいえば〈Dynic Production System〉である。かんたんにいえば、トヨタ自動車の〈カンバン方式〉から生まれた経営システム〈NPS-NEW PRODUCTION SYSTEM〉を下敷きにして体系づけたダイニックの新生産システムである。
 NPSとは、必要なものを、必要なだけ、必要な時につくろうという考え方にもとづく、「徹底的にムダを排除する生産」を追求するシステムである。
 ダイニックの新生産システム〈DPS〉活動は、滋賀工場から始まり、東京工場、深谷工場へとひろがっていった。3工場に導入されたDPSの課題は、およそ次の9点に集約することができる。
 第1に、「適正在庫量への在庫減少」を掲げている。生産部門、販売部門が一体となって必要以上の在庫はもたないこと。「いるものを、いるだけ、いるときに」というDPSのスローガンにふさわしく、それを基本としたのであった。そのほか「人と機械の仕事の区分」「多能工化教育」「段取り替えの改善」「流れで物をつくり、後工程が引き取る」「目でみてわかる管理」「自動化」「少人化」などがあり、最後のテーマは、「情報システムの確立」であった。
 DPSによる改善には四段階のステップを設けた。ステップ1は「工程レベルの改善」、ステップ2は「工場全体の改善」、ステップ3は「会社全体の改善」、ステップ4は「グループ全体の改善」である。
つまりダイニック・グループ全体におよぶ改善活動と位置づけたのである。3工場を中心に始まったDPS活動は、やがて全社に拡大していった。1989年(平成元)1月、「DPS基本方針」を次のように制定した。

 『伝統にとらわれず、現状を否定し、常に改善・改革を実行する。そのためにIEを重点とする科学的管理技術をもって、全員参加による管理の実践を日常業務とする。』


総合技術実験棟の設置

 1986年(昭和61)8月、滋賀工場内に技術開発本部の「総合技術実験棟」が完成した。同施設は「資料棟」とともに技術開発の中心的な役割を担う施設であると位置づけた。
 かつて京都に「中央開発研究所」をもっていたが、京都から滋賀への工場移転にともない閉鎖していた。滋賀工場時代になってからは、実験施設は3工場に分散していたが、総合技術実験棟の完成にともなって、新しい視点から技術開発体制を整備することになったのである。
 実験棟は「物性測定室」、「第1実験室」(クリーンルーム)、「第2実験室」(化学実験室)の3つの実験室と「中間プラント」をもって構成した。実験室は効率的に使用できるように配慮し、「物性測定室」をはさんで、両サイドに第1、第2の実験室を配置した。中間プラントには、フレキシブルな考え方をもりこんだ。実験内容の重視、さらにはスペースの有効利用の観点から、設備を固定せずに、必要なときに必要な機械をセットできるシステムを採用したのである。
 「実験棟」と密接な関係にある「資料棟」は、ダイニックの技術の全貌がわかるという意味で、いわばシンクタンクである。図書、文献、過去の開発技術、商品に関する資料を収納しているだけでなく、活用できるよう分類・整理しているのが大きな特徴であった。
 総合技術実験棟と資料棟の完成によって、技術開発本部は全力をあげて基礎技術と応用技術の研究に取り組むことができるようになった。部門の活性化のために、定期的に技術発表会を開催するとともに、特許と技術の情報誌「技術月報」を刊行し、また外部研究機関や大学などとの共同研究、共同開発なども積極的に進めていった。


二つの学会賞を受ける

 ダイニックは社是のひとつに「技術の優位性」を掲げているが、この期には2つの学会賞を受けるなど、開発技術の優位性がひろく認められるようになった。
 1979年(昭和54)、深谷工場と滋賀工場が、日本工業規格(JIS)表示許可工場となっている。深谷工場は、工場の体質改善の一環として、1977年(昭和52)ごろからJISの受審を検討していた。2年間にわたって、品質管理・標準化活動を展開、1979年(昭和54)4月、東京通産局の審査を受け、合格したのである。つづいて滋賀工場も7月の大阪通産局の審査に合格した。深谷工場は5月8日付、滋賀工場は8月30日付でそれぞれJIS表示許可工場となった。両工場で生産する壁紙の生産技術と品質の優秀性が認められたのである。
 滋賀工場の製品「ニックセブン」が第5回繊維学会「技術賞」を受けたのは、同年6月であった。繊維学会賞には〈学会賞〉〈技術賞〉〈論文賞〉の3部門があり、いずれも繊維工業の発展に貢献した個人またはグループに与えられる年度賞である。技術賞というのは、繊維の研究、発明、開発にすぐれた業績をあげた個人、グループが対象となっている。
 1979年(昭和54)度の技術賞は3件だったが、そのうちのひとつにダイニックの「被服用耐久性タッグ(ニックセブン)」が選ばれたのである。受賞者は、吉田明史、中村健、中村新次(滋賀工場)の3人であった。
 ニックセブンは1973年(昭和48)5月、染工部製品として開発した衣料用品質表示のケアーラベル素材である。プリントネーム素材として市場から高い評価を受け、当時1ブランドで月産数10万メートル、売上高約1億円の実績を記録していた。さらに公告・公開中の特許、実用新案は9件にのぼっていた。品質と生産技術の優秀性、それが受賞の裏づけとなったのである。
 1983年(昭和58)10月には、〈アキュープリント・コーティング・システム〉が第7回静電気学会全国大会で「静電気学会進歩賞」を受けた。滋賀工場で開発した接着芯地製造システムが、静電気応用の新しい技術として評価されたのである。受賞者は坂部三次郎、金久俊五、平岡登、藤森雅之の4人であった。

*** もどる *** 次へ ***


*** 目次へ *** トップぺージへ ***