多様な市場分野に伸びる

独自技術でフィルム市場へ―「ALINDA」
 商品別事業部制が動き始めたこのころ、複合技術による製品づくり、用途開発、システム開発、それらによる市場開発が活発化した。たとえばオフセット印刷のできる素材「ALINDA」は、新しいフイルム・コーティング技術によって生まれた。
 狭山事業本部にFFC事業部が発足したのは、1986年(昭和61)8月であった。同事業部は、〈FFC〉というダイニック独自の技術開発によって生まれた新規事業部門である。FFCとは、Fine Film Coating の略である。かんたんにいえば、精密なフィルム・コーティングができる技術である。
 ダイニックは創業時からコーティング・メーカーとして、布・紙・不織布などの素材を扱ってきた。FFC技術はダイニックがおよそ70年にわたって蓄積してきた固有技術と新技術との複合化によって完成した。
 FFC技術によって開発したのが「ALINDA」というブランドの製品群である。超精度のコーティングによるALINDAフィルムは、光学性、電気性、機械性、記録性にすぐれた特性をもち、応用範囲がひろい。オフセット印刷ができるというのが、ALINDAの大きな特徴である。フィルム印刷には、特殊な技術と設備が必要であるが、ALINDAはオフセット印刷機で印刷でき、業界の常識をくつがえす新素材として注目された。
 FFC事業への進出は、1982年(昭和57)から模索していた。同年、研究開発用の実験プラントを東京工場に設置、精密コーティングの基礎研究を始めたのである。3年間にわたって、本格的な技術開発を進め、1985年(昭和60)ごろ、数点の新製品を開発した。同年8月の新組織では、新規事業に発展させるためにFFCプロジェクトが発足し、テストマーケティングを進めながら、本格的な機械設備の導入プランを検討していった。
 最終的な事業化の準備に約1年間をついやした。FFC技術による新しい製品づくり、さらには量産体制への技術的なチェックを繰り返したのである。このような経緯をたどって、新規事業のアウトラインが完成、1986年(昭和61)8月にFFC事業部が発足したのである。
 1986年(昭和61)11月、東京工場内にクリーンルームを設け、新しい製造ラインを設置した。塗工機本体はダイニックの独自設計になるもので、最大塗工幅は1,540ミリ、溶剤・水性いずれの塗料にも対応できる設備であった。付帯設備として、ドライラミネーター、スリッター、各種計測評価機器、UV硬化装置、枚葉仕上機などを設置した。当初の生産能力は、月間150万メートルであった。
 ALINDAの製法については、国内特許のほか、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、西独、イタリア、オランダ、スウェーデン、スイス、オーストリア、ニュージーランド、シンガポール、香港、韓国、台湾の15カ国に特許を出願した。
 ALINDAは、6品種の製品構成でスタートしたが、1987年(昭和62)12月には第2次シリーズ3品種を発表、さらに高度な複合機能をもつ製品化を進めた。


インクリボンで情報分野へ

 インクリボンと通帳用クロスを中心とする情報関連分野は、1979年(昭和54)から新しい展開を迎えた。第2次金融端末のオンライン化の構想と汎用プリンタの登場が同分野にビジネス・チャンスをもたらしたのである。
 第2次金融端末のオンライン化は、通信回線によって全システムを網羅するという大規模な構想であった。まず郵政省が1983年(昭和58)から、オンライン化の実施を決めた。全国の郵便局を通信回線でつなぐというのである。郵政省のリボンを展開していたダイニックは、郵政省の通帳用クロスとリボンにターゲットを絞って、1979年(昭和54)から1980年(昭和55)にかけて、通帳プロジェクトとインクリボン・プロジェクトを同時に発足させた。民間金融機関へのアプローチは富士通ルートを通じて行った。銀行関係で最初にオンライン化を試みたのは埼玉銀行であった。
 新しい金融端末用の通帳用クロスとリボンの商品化に成功すると、通帳とリボンをドッキングさせた販売方式で埼玉銀行にアプローチ、同システムは第2次オンライン化金融端末のモデルケースとなった埼玉銀行に採用されたことにより、三井銀行、三菱銀行、協和銀行、第一勧業銀行と、主要な銀行に採用されるようになっていった。
 インクリボンの販売高は飛躍的に伸び、1983年(昭和58)4月期には月間1億円を超えた。このような背景から、長期構想にもとづいて情報関連分野を強化・拡充することになった。同年11月、組織の上でもインクリボン部門の再編・強化を明確にした。1982年(昭和57)8月、第1事業部の東京販売部に組みこんでいたビジネス用途販売部を復活、インクリボン販売課とビジネス用途販売課を設けた。生産・技術部門も東京工場のインクリボン製造課を部に昇格させ、製造課と技術課を集約した。営業・製造・技術ともに情報分野の強化体制を整えたのである。


カーペットのオフィス・フロアー展開

 インテリア・住宅関連部門は、カーペットを中心とする床材と壁紙など壁装材を中心に事業を展開してきた。なかでもカーペットの成長は、きわめて順調であった。1983年(昭和58)4月期の売上高は約38億円、全社売上高の約13%を占めるまでになった。
 カーペットはニードルパンチとタフテッドで展開してきたが、とくにニードルパンチは業界第1位のシェアを誇っていた。1982年(昭和57)ごろからは、オフィス・フロアへの展開が活発化した。同年の春、オフィス用のニードルパンチカーぺットの商品化に成功したが、同製品群はオフィスをはじめホテル、劇場、公共建築物に適した機能性とファッション性をそなえた新しいニードルパンチカーペットであった。とくにすぐれた機能性と経済性が再評価された。ニードルパンチは施工がかんたんで、しかも将来のメンテナンスを含めたトータルコストが塩ビタイルやタフテッドカーペットよりすぐれている点に着目、同製品群を核にしてシステム販売を図った。
 1983年(昭和58)1月には、搬入や敷き替え作業が容易な「タイルカーペット」を発売、5月にはオフィスのOA化時代に対応して導電性カーペットの開発に成功した。いずれも機能性を重視してオフィス用途の多様化を狙ったものだった。機能性にデザイン性を加えたものに「プリントカーペット」がある。塩ビのクッションフロアにくらべて、ニードルパンチは総じてデザインの自由度にとぼしかった。そこで1984年(昭和59)9月、プリント柄のニードルパンチを開発、スナックや喫茶店など店舗向けに発売した。これらの新しい用途開発によって1984年(昭和59)4月期のニードルパンチの売上げは順調に伸びた。フル稼動の状態がつづき、深谷工場は30%の生産能力のアップをめざして設備の増強を図ることになった。


耐久折り目加工「リントラク」

 「リントラク」はイギリスの国際羊毛事務局(IWS)が開発した繊維製品の折り目加工システムに使用する特殊な樹脂である。スラックスなどに折り目をセッティングするこのシステムは、もともと英国のステーフレックス社が販売権をもっていた。接着芯地でステーフレックス社と提携していた関係で、同システムの国内での販売を始めたのである。
 接着芯地担当の第5事業部は国際羊毛事務局と連携、1981年(昭和56)4月から販売を開始した。有力なクリーニング・チェーンで販売してきたイギリスの先例にならって、日本でもクリーニング業者を中心に販売することになった。
 国内販売の特徴は、ライセンシー制度を採用した点にあった。日本全国のクリーニング業者は約6万3,000社、そのうち80%は家内工業が占め、残りの20%が企業レベルの業者であった。ダイニックとIWSは、クリーニング業者の品質、技術を審査、ライセンス契約を結んでチェーン化する販売方針でのぞんだ。当初の目標はライセンシー300社、年間加工規模は500万本であった。
 第1回の取扱店認可式を、1981年(昭和56)4月に行い、東京、大阪、神戸、栃木、三重の8社をライセンシーとした。第2回からはクリーニング業者だけでなく、アパレル企業も対象とし、2年後には約100社に達した。
 リントラクの販売展開のもうひとつの特徴は、ライセンシー企業を横断的にとらえ、グループ化を図ったことであった。認可企業が誕生すると同時に「リントラク研究会」を結成した。同研究会は長期的な拡販を狙いとして、マーケティングと技術問題を取り上げる一種の勉強会のようなものであった。高度化する消費者ニーズへの対応、アパレルメーカーの商品評価、さらには表素材にマッチした芯地の研究などを行った。


ST式底面灌水システムで花卉園芸市場へ

 商品事業部の花卉園芸市場への参入が本格化したのは、1986年(昭和61)からであった。もともと同事業部は、ダイニックの外注部門として誕生した加工商品部が発展したものである。加工商品部時代は生産部門として位置づけられ、ダイニック製品による最終商品の企画・製作を担当していた。素材づくりの経験とノウハウを活かして、最終商品づくりをめざし、企画から素材の選定、デザイン、加工まで、一貫したシステムで用途開発と商品化を進めていた。とくにファンシー・グッズのオリジナル商品を多く開発している。〈ST式底面灌水システム〉というダイニック独自の栽培システムも、そういう商品事業部の企画として開発したものである。
 ST式底面灌水システムは、STポット(いきいきポット)、給水ウイック(水を送りこむ専用具)、トイ(給・配水の通水装置)の部材で構成されている。ポット底面にとりつけられた給水ウイックが通水トイから吸い上げた水をポット内に毛管給水し、土壌内にまんべんなく水を拡散させるという新しい灌水システムである。
 灌水の省力化、簡素化、さらには灌水ムラがないことから成育ムラを防ぐことができるというのが同システムの大きな特徴であった。さらに肥料や水の供給量を大幅に低減できるという経済性もそなえていた。
 ST式底面灌水システムの開発は、1979年(昭和54)から始まっている。不織布のもつ毛細管現象による吸水性と拡散性などの特徴に着眼、先進的な農園の協力により実験、研究を開始、1984年(昭和59)に開発した。当初はシクラメン用のシステムだけであったが、1987年(昭和62)に、観葉植物用のシステムも開発、ひろく施設園芸業者を対象に販売を開始した。
 ST式底面灌水システムのビジネス・スタイルは、システム・ノウハウと部材の販売だったが、単品ながら年間約1億5,000万円に達し、商品事業部では、同システムを核にして花卉園芸そのものの事業化を図っていった。

*** もどる *** 次へ ***


*** 目次へ *** トップぺージへ ***