メリハリのある体制づくり」

営業と海外の強化
 1995年(平成7)8月16日に行われた組織改定、営業事業部と海外拠点の運営強化を目的とするものであった。
 営業事業部の枠組みに大きな変化はなかったが、販売強化のために若干の改編を加えた。第3事業部が担当していた衣料関連事業については、国際化の流れのなかで、グループとしての事業展開を図る必要性から、海外を含めて全事業を担当することになった。このほか工業用途の不織布部門とレザー部門を組織的に統合、官需・特需市場への営業体制の強化を図ったが、いずれも総合力による拡販が狙いであった。また第4事業部が新設され、それぞれの構成は次のようになった。

第1営業事業部  出版文具関連、情報関連
第2営業事業部  不織布、車輌、建装、インテリア
第3営業事業部  産業用途、衣料用途
第4営業事業部  DHC、土木、特需、ファンシー

 新事業のマーケティングを目的に新組織も発足した。抗菌事業の拡大、情報分野の新規事業の構築を目的として、抗菌市場開拓グループ、情報市場開拓グループを新設したほか、FFC(ファイン・フィルム)、TTR(サーマルリボン)の米国生産をサポートするアメリカ事業準備室、PL対策室を新設した。
 埼玉工場は1996年(平成8)4月1日の組織改定で、事実上のスタートを切っている。東京工場と深谷工場を統合して組織的に再編成した。このほか芯地事業については営業、生産、技術を一本化して再構築を断行、さらに担当常務を海外に駐在させ、海外芯地事業の総合力強化に着手した。
 東京工場の集約移転にともない、東京本社狭山分室は東京都北区の大平製紙内に移転することになり、6月24日から東京本社王子分室(東京都北区浮間5-4-44)として業務を開始した。王子に移ったのは、人事、関連、技術情報、システム、システム開発の5部門であった。
 事業所の移転が相次ぎ、5月13日には名古屋支社営業所がダイニック・ジュノ名古屋営業所とともに新オフィス(名古屋市西区牛島町5番2号、名鉄TKビル8階)で営業を開始した。京都本社は営業所機能を持つ事業所に組織変更されたが、これにともない5月20日に京都市中京区(烏丸通り二条下ル 前田エスエヌビル)に移転した。


市場別事業部制へ

 1997年(平成9)5月の組織改定のポイントは市場別事業部制の導入にあった。開発、製造、販売といった従来のヨコワリ組織を市場別のタテワリ組織に再編した。具体的には出版文具、情報、工業用途、衣料用途、住宅、商品の6事業部制として、各事業部が開発から製造、販売までの一連の業務を遂行できるようにした。つまり事業部がひとつの会社のような役割を担うかたちになったのである。各事業部に相応の権限と責任をあたえ、それによって事業部の取り組み状況を明確にすることが狙いであった。タテワリの組織体制によるマイナス面を補完するために事業部長とは別に、各常務が6事業部のうちのいくつかを担当して、各事業部同士のヨコのコミニュケーションを図るようにした。さらに「商品技術研究所」を各事業部を横断する組織として位置づけた。
 顧客ニーズの多様化、技術革新、価格体系の変化などを背景にして、最も効率的な組織を模索した結果、市場別事業部制がいちばん望ましいということになったのである。
 新しい組織の狙いについて、坂部三司は次のように書いている。

 今回の市場別事業部制のゆきつくところは社内カンパニー制であり、真のねらいは独立採算性にあることを再認識されたい。現在検討中の新しい賃金体系についても、事業部制をベースにした成果配分方式を導入する。したがって事業部長は、同じ事業部で働く全メンバーの人生を背負っているといえる。(「おれんじ」No.182号)

 市場別事業部制導入の真の目的は、社内の評価システム、賃金体系を含む全面的なシステム改革であった。経営資源であるヒト・モノ・カネの投入は、すべて事業部の業績や将来性がベースになる。目標の立てかた、目標達成への取り組みや結果についても査定して、事業部への成果配分というかたちで各事業部の従業員の給与や賞与に反映させてゆく。賃金体系も自ずと年功序列型賃金から能力給へ移行してゆくことになるが、それは事業部を社内カンパニーと見立て、各部に貸借対照表をもたせる体制にして初めて可能になることであった。
 なお事業部の編成は1999年(平成11)1月と5月に一部手直しされている。不織布関連の事業を強化するために工業用途関連事業部から分離し、1月に「不織布関連事業部」を新設した。5月には桂工業を吸収合併したことによって、同社のエンボス加工部門が「特殊材料事業部」として加わった。


新しい賃金・人事システムへ

 1998年(平成10)の創立記念日のメッセージのなかで、社長の坂部三司は体質改善の総仕上げのテーマとして3点をあげている。第1に新製品の戦力化と社内ベンチャーの促進、第2に海外を含めたダイニックグループの体制改革をあげ、第3のテーマについて次のようにしめくくっている。

 最後は人事評価制度、賃金体系の改革です。いわゆる悪平等というものを廃して、当然のことながら、仕事の〈できる〉人には厚く〈報いる〉というシステムへ移行することになります。

 事業展開をすべて徹底的に見直して、「切るべきは切り、伸ばすべきは、より伸ばす」というように、いわば「メリハリ」をつけた取り組みによって路線転換を図えい、人事評価制度や賃金体系を連動させるというのであった。
 賃金体系の改革を含む新しい人事制度については、労働賃金体系改善委員会、賃金体系検討プロジェクトがまる1年かけて検討し、1998年(平成10)4月、「目標ベースの業績主義人事システム」を導入した。このシステムによって「年齢給と職能給」に変わる新しい「資格給と業績給」という給与賃金体系が生まれたのである。つまり新しい賃金体系は「年齢」部分をカットした業績中心の評価方法なのである。
 新しい賃金体系で最も重要なのは評価方法である。評価が適性に行われなければ何の意味ももたなくなる。評価のモノサシとして導入されたのが「目標管理」の考え方である。
「目標による管理」(MBO)とはドラッガーが著書『現代の経営』のなかで初めて使った言葉である。「自ら目標を設定し、自ら挑戦し、自ら管理し、自ら結果を出す」というのがその精神である。
 ダイニックの人事制度はもともと「職能資格制度」であった。能力の向上が資格に反映するようになっていたが、能力をもって会社に貢献するには、それを十分に発揮しなければならない。全社員が目標をもって業務を遂行することによって自らを成長させ、業績の向上に貢献していかなければならない。そういう考え方にもとづいて導入したのが「目標ベースの業績人事システム」である。
 業績の向上は会社のとってのぞましい目標を達成することによってもたらされる。したがって、会社、組織、個人が「目標」を通じて有機的に連携するところから出発しなければならない。そして仕事の成果によって個人を評価をし、賃金をはじめとする処遇に反映させていこうというのである。
 目標管理そのものは新しい手法ではないが、ダイニックの導入した「目標ベースの業績人事システム」は〈評価〉と〈賃金体系〉が結びついているところに新しさがある。

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