商流統合、業務提携で相乗効果」

ダイニック・ジュノの発足
 グループ企業のなかで最も歴史のある三豊クロス株式会社は、もともとダイニック製品を中心に扱う販売会社として出発している。ダイニックの事業の多角化とともに取扱商品もひろがっていったが、近年では住宅関連商品の比率が高まり、壁装材と床材とで全体の60%を占めるまでになった。
 壁紙やカーペットの住宅関連商品については、三豊クロスはあくまで代理店の位置づけて、ダイニックの営業部門とともに販売にあたってきた。そのために販売活動のうえでも重複が目立つようになってきた。とくにダイニックの地方営業所の取扱商品のなかで住宅関連商品の占める割合が高くなっていた。
 現状のままでは営業活動の効率が悪いだけでなく、販売力の強化にも支障をきたすところから、営業部門を組織的にひとつにして、商品と地域の特性に応じた顧客サービスをめざす必要が生じてきた。さらに事業戦略そのものも一本化すれば、市場の変化にも素早く対応できるというメリットも生まれてくる。そういう観点から、1994年(平成6)10月1日付でダイニックと三豊クロスのインテリア床材の商流を統一することにした。
 三豊クロスの全株式をダイニックが買い取り、100%出資の子会社にするとともに、社名を「ダイニック・ジュノ株式会社」に変更した。
 ダイニック・ジュノの設立と同時に、インテリア床材の販売をダイニック・ジュノに集約・統合した。なお三豊クロスが扱ってきた衣料芯地の販売については、ダイニックの営業部門に一本化した。
 ダイニックの札幌、仙台、福岡の各営業所と広島連絡事務所はダイニック・ジュノに移管され、新しくダイニック名古屋支社営業所内にジュノの名古屋営業所を開設した。一連の再整備によって、ダイニック・ジュノは東京、大阪に加えて、札幌、仙台、名古屋、広島、福岡と全国を縦断する営業体制を確立した。
 発足当初のダイニック・ジュノの年商は100億円。売上高の80%はダイニックの関連商品で、残りの20%は外部からの仕入れ商品であった。分野別では壁装材が30%、床材が30%、クロスが13%、産業資材、衣料用途、印刷関連などが27%であった。


大平製紙と業務提携

 1995年(平成7)3月23日、ダイニックは大平製紙株式会社の株式28%を取得して筆頭株主となり、経営にも参画することを発表した。技術、製品、販売面で幅広く業務提携を行い、経営の建て直しにも乗りだすことになったのである。
 大平製紙は食品向けのアルミ箔加工製品を中心に、食品の包装に使用される複合フィルム製品、加工紙、食品用紙器、感光材用紙管、紙クロスなどを製造・販売する東証2部上場企業である。
 創業は1937年(昭和12)8月、大平加工紙株式会社として現・王子工場(東京都北区)の地で、製紙、紙クロス、加工紙の製造を開始、1943年(昭和18)に新興製紙を合併して冨士工場を加え、社名を現在の大平製紙に改めた。
 1964年(昭和39)に東証2部に上場。1968年(昭和43)に英国・ユナイテッドグラス社から技術導入して、アルミ箔蓋材の製造を開始、1970年(昭和45)には栃木県真岡市に新工場を建設して、アルミ箔加工の増産に乗りだした。1978年(昭和53)には資本金を5億円に増資して設備の増強を進め、複合フィルムの分野に進出するなど、幅広く事業を拡大してきた。
 同社は製紙部門の不振から収益が悪化、1994年(平成6)5月期の決算は売上高89億円、経常損失9億円を計上、7期連続の経常赤字となった。王子工場の敷地の一部を売却するなどして累積赤字を4億円に減らしたが、1995年(平成7)5月期には、またしても7億円の経常赤字をだすことが見込まれていた。
 ダイニックが経営支援を引き受けたのは、同じフィルム加工部門をもつメーカーであるうえに、両社の保有する経営資源を最大限に活かせば、新しい事業展開ができると判断したからだった。大平製紙は乳飲料やヨーグルトなどの食品容器の蓋に用いられアルミ箔の特殊加工技術をもっている。ダイニックには織・編物、紙、不織布、フィルムなどにコーティングする技術がある。アルミ箔に関する技術導入、アルミ箔へのコーティング技術の応用、食品分野への進出なども期待できる。業務提携には新しい可能性がひめられていたのである。
 大平製紙は資本金5億円、年商は75億〜90億円、従業員270人の中堅企業である。その規模からして、同社の再建には相当な経営努力が必要であった。こうした背景から、95年4月1日付で、会長の坂部三次郎、専務の細田敏夫、参与の桂幸嗣の3名が大平製紙の顧問に就任、同年8月の株主総会で、坂部三次郎が同社の取締役会長に、細田敏夫が代表取締役社長に、桂幸嗣が取締役に就任して、同社の経営改革が本格的にスタートした。
 組織を大幅に改定して、技術・開発面の強化を図り、利益責任制を導入(生産、営業、業務の3本部制)した。赤字体質から脱するために、固定費の削減、在庫の適正化、歩留まりの向上など徹底的なコスト削減、さらには設備投資の抑制、人件費の削減を推進した。その結果、3年後の1998年(平成10)5月期は売上高は減少したにもかかわらず黒字転換に成功した。1999年(平成11)5月期も売上高は74億8,100万円と前年比で5.5%減少したが、経常利益3,200万円を確保し、ようやく黒字体質が定着した。

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